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宝塚記念の女王は4頭、記憶に残るスイープトウショウの勝利

2020 6/23 07:00三木俊幸
天皇賞時のスイープトウショウⒸ明石智子
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Ⓒ明石智子

牝馬クラシック最後の一冠を制す

今年で61回の歴史を数える宝塚記念。その歴史の中で、多くの牝馬が強力な牡馬相手に挑んできたものの、優勝したのは1966年のエイトクラウン、2005年のスイープトウショウ、2016年のマリアライト、2019年のリスグラシューの4頭のみ。

ファン投票で選ばれたトップクラスの馬が集まる中で、その名を刻むことがいかに難しいかを物語っている。今回のコラムでは2005年の宝塚記念で歴史に名を残す快挙を果たしたスイープトウショウについてご紹介する。

スイープトウショウは2001年5月にトウショウボーイなど数々の名馬を輩出した名門、トウショウ牧場で産まれた。2003年10月に栗東・渡辺栄厩舎からデビューすると、鋭い切れ味を武器に新馬、ファンタジーSと連勝。続くGⅠ阪神JFでは1番人気に支持されながら、脚を余すレースとなり5着に敗れる。

その後、紅梅Sを勝利して順調にクラシックへと向かっていくのだが、渡辺調教師の引退に伴い鶴留明雄厩舎へ転厩。鞍上もそれまで全てのレースで騎乗していた角田晃一騎手から池添謙一騎手とのコンビに変更となった。

チューリップ賞を新コンビで勝利し、挑んだ桜花賞では5着。オークスでも後方から追い込んで2着となったものの、期待に応えることはできず、春のGⅠは未勝利に終わった。

夏休みを経て、秋はローズSから始動し3着、牝馬クラシック最終戦の秋華賞へと向かった。ゴール前はライバルのダンスインザムードが早めに抜け出したが、スイープトウショウはそれを大外から一気に差し切り、これまでの屈辱を晴らす見事なGⅠ初制覇を果たした。

納得するまで動かない頑固な一面も

そんなスイープトウショウには周囲を困らせる厄介な一面があった。それは調教や競馬場で馬場に入る際に突然立ち止まってしまうことだ。ひどい時には数十分動かなくなってしまうこともあり、それはお馴染みの光景となるほどだった。

調教でも騎乗することが多かった池添騎手も、なぜ立ち止まるのかということについては分からなかったという。そんな周囲に惑わされず、自分が納得するまで動かないという頑固さが彼女の強みでもあり、もろさでもあった。

4歳時の始動戦に選ばれたのは、オープン特別の都大路S。当然のごとく1番人気に支持されたが、気性難も影響してか5着。やはり男馬相手のレースでは厳しいのか、マイル戦は短いと判断されたのか、続く安田記念では10番人気という低評価にとどまった。しかし、結果は大外から追い込み2着となり、ファンを驚かせた。

2005年、豪華メンバーの中で宝塚記念の女王となる

迎えた宝塚記念。連覇を狙うタップダンスシチー、前年の天皇賞(秋)、ジャパンC、有馬記念と秋の古馬3冠全てを制したゼンノロブロイ、日本ダービー2着の実績があるハーツクライなど豪華メンバーがそろった。いくら安田記念で2着になったとはいえ、このメンバーに入ってはちょっと……。多くの競馬ファンはそう思ったに違いない。

だが、この日は馬場入りやゲート入りを嫌うような仕草もなく、全てが完璧に進んだ。道中も中団を追走し、ピタッと折り合いも付いていた。そして手応えよく4コーナを回って直線へ向くと、一気に先頭へ躍り出る。

そこへ大外からハーツクライが強襲してきたものの、なんとかしのぎ切り39年ぶり、史上2頭目となる牝馬による宝塚記念制覇を果たした。

その後、秋には上がり33.2という豪脚を見せてエリザベス女王杯も制してGⅠ3勝目を挙げたが、その後骨折が判明し長期休養に入る。翌年の京都大賞典で復帰し、復活の勝利を挙げたが、気性難がさらにひどくなり、結局それが最後の勝利となってしまった。

最後までその気性の激しさに悩まされたスイープトウショウだったが、その姿はファンの心を魅了してやまなかった。これからも記録にも記憶にも残る名牝として色あせることなく、語り継がれていくことだろう。