悲運の名馬ライスシャワーも制したレース
今週は牡馬クラシック最終戦・菊花賞が開催される。3000mという長距離戦で、ステイヤーとしての資質も試される。昨今は秋に入ると中距離路線で古馬との戦いを選ぶ実績馬も多いが、それでも当レースの威厳は損なわれるものではない。
歴戦の名ステイヤーたちに名を連ねるのはどの馬か。今回は菊花賞の記録を振り返る。データは1986年以降のものとする。
まずは血統に関する記録から。種牡馬ではディープインパクトが5勝、サンデーサイレンスが4勝で1、2位を独占。お馴染みの顔ぶれだ。そこで、ここでは「母父」として馬券に絡んだ馬の数でランキングをみていく。
馬券に絡んだ馬は延べ114頭で、3位はノーザンテーストの5頭、2位はサンデーサイレンスの6頭、1位はマルゼンスキーの7頭となった。
母父ノーザンテーストの馬では1989年にバンブービギン(父バンブーアトラス)が勝利。1993年には9番人気ステージチャンプ(父リアルシャダイ)が2着に食い込んだ。最後に馬券圏内に食い込んだのは2012年2着のスカイディグニティ(父ブライアンズタイム)で、翌年のタマモベストプレイ(父フジキセキ)の11番人気8着を最後に菊花賞への挑戦は途切れている。
母父サンデーサイレンスの馬はまだ健在で、2020年にロバートソンキー(父ルーラーシップ)が出走して9番人気6着となっている。母父サンデーサイレンスで勝利した馬は、2006年8番人気ソングオブウインド、2007年4番人気アサクサキングス、2010年7番人気ビッグウィークと、波乱の立役者になった馬も多い。
そして、期間内で最も馬券圏内に食い込んでいるのが母父マルゼンスキー。ただし惜敗も多く、ロイヤルタッチ、スペシャルウィークが2着、ウイニングチケット、メジロブライト、エリモブライアン、メガスターダムは3着に敗れている。唯一勝利を挙げたのは1992年のライスシャワーだ。
菊花賞でライスシャワーは単勝オッズ7.3倍の2番人気。同じ『母父マルゼンスキーで菊花賞2番人気』の馬ではウイニングチケットが2.8倍、メジロブライトが3.8倍だったことから、かなり控えめな数字といえる。
しかしそれも致し方ない。この時の1番人気が二冠馬ミホノブルボンだったからだ。皐月賞、ダービーといずれも1番人気で勝利。秋初戦の京都新聞杯でも2着ライスシャワーに1馬身半差をつけての完勝と、万全の態勢で臨んだ菊花賞本番では単勝オッズ1.5倍の支持を受けた。
ライスシャワーはデビュー戦が芝1000m戦という経歴の持ち主。デビュー戦こそ勝利したが、2戦目の新潟3歳S(現:新潟2歳S)で11着と大敗だった。翌春、皐月賞8着に加えて、強行日程だったNHK杯(当時のダービーのトライアル競走。1996年に廃止)8着を挟んでダービーに挑むが16番人気と、完全な伏兵扱い。しかし、好位から脅威の粘りを見せ、先頭のミホノブルボンには4馬身離されながらも2着好走を果たした。
秋になってからもセントライト記念、京都新聞杯をそれぞれ2着と活躍して迎えた菊花賞本番。レースでは道中5番手につけ、前を見る形に。3~4角でペースアップし始めると徐々に前との差をつめ、直線では先に抜け出したミホノブルボンを上がり最速の末脚でとらえ、差し切った。デビュー戦と比べて実に3倍もの距離をこなしてクラシックホースの仲間入りを果たしたのである。
ライスシャワーはその後も活躍を続け天皇賞(春)を2勝するなど名ステイヤーとして名を馳せたが、1995年の宝塚記念で悲運の死を遂げ、多くのファンが涙した。その冥福を祈り、同馬と縁が深かった京都競馬場に記念碑が建てられている。
そのほか、母父マルゼンスキーの馬についても触れていく。スペシャルウィークは父として、2014年1着トーホウジャッカル、2008年2着フローテーションなど菊花賞に5頭を送り4頭が掲示板に食い込む活躍を見せている。
メジロブライトはステイヤーズS勝ち馬マキハタサイボーグを、ウイニングチケットはオークス3着馬ユウキャラットを出した。また、ウイニングチケットは名繁殖オイスターチケットの父でもあり、そこからレイパパレやシャイニングレイ、ブラックシェルやアンコールプリュなどを世に送り出した。
同じく母父マルゼンスキーの活躍馬であるライスシャワーの産駒を見たかったという声はいまだに大きい。きっと菊花賞でも活躍馬を出したのではないか。悲運の名馬として、今なお語り継がれる存在である。