競馬が誕生した国のイギリスとサラブレッド
現在、日本のみならず世界中で人気のあるスポーツとして親しまれている近代競馬。その起源は16世紀までさかのぼる。1540年の近代競馬の発祥の地となるイギリスにおいて、世界初となる競馬場のチェスター競馬場が建設された。
それ以前にもルールの曖昧な競馬自体は行われていたが、このチェスター競馬場では競馬専用の施設があり、正式なルールに沿って運営されており、もっとも古い記録が残ることから近代競馬の始まりとなっている。
そして、そのイギリスでの始まりこそが、現代にまでつながるサラブレッドの歴史の誕生だ。サラブレッドの誕生はイギリス在来のハンターなどの牝馬と、アジアから輸入されたアラブ馬を牡馬として交配し生まれた。その後も何世代にもわたって改良を重ねて現在に至る。そして競馬のことをイギリスでは“スポーツ・オブ・キングス”と呼び、王侯貴族などの有力者が馬を保有し、成績が優秀だった速い馬の血統を残していく。
そして18世紀以降、サラブレッドの血統と成績についての記録が残されていくことになった。
日本での近代競馬の始まりと礎になった文化とは
イギリスで始まったとされる近代競馬は、その後に日本にも浸透していく。
きっかけになったのは、アメリカの圧力によって幕府の鎖国体制が崩れた江戸時代末期、横浜に設けられた外国人居留地で開かれた競馬だ。1860年に横浜で開催、翌年には居留区の海岸を埋め立てて競技場を建設した。そして明治維新などを経て、やがては全国へと拡大していく。
現在まで長く競馬が続いているのは、居留地などの外国文化の影響もあるが、もともと日本人にとって馬との関り合いが、古くからあることも理由だ。近代競馬ではないが、701年に端午の節句に朝廷の儀式として、競馬が行われた記録がある。さらに1093年に京都にある、賀茂神社の祭典で行った競馬もある。
その後の開国によって近代競馬が入ってくるまでの長く続いた武家時代にも、馬を大切に扱う文化があったことにより、近代競馬が日本に根づく礎になったのではないだろうか。
日本国内の競馬の歴史とは
居留地で始まった近代競馬。国内に常設された競馬場としては初の根岸競馬場が、1866年に江戸幕府によって建設された。当時は賭博禁止の施策をとっていた江戸幕府とその後の明治政府も、競馬は外国人が運営していることから治外法権にあたり、法律の影響を受けずに馬券が販売された。
やがて1870年に、東京の靖国神社(当時は東京招魂社)の境内の馬場で、兵部省が主催となって競馬が行われた。この招魂社競馬と呼ばれる競馬が、日本人の運営による初めての洋式競馬だ。その後は、軍や皇室に政界などの上流階級によって開催されるが、賭博禁止により馬券が発売されなかったため、庶民には浸透せず、明治30年代には衰退していく。
やがて戦争が始まり、くしくも軍馬の育成と資金調達のため馬券の販売が許可され、一気に競馬場の建設が加速する。その後、戦時中は賭博禁止にあたるとして、何度も馬券の販売が見直された。しかし戦局が悪化した1943年には、馬券の販売は禁止。そして敗戦をむかえ、日本競馬会による公認の競馬が再開されたが、GHQによって解体。新たな法律のもと競技が行われ、1954年に日本中央競馬会が主催する今の中央競馬がスタートした。
まとめ
イギリスに始まった歴史ある近代競馬は、古来からあった日本の馬の文化と結びつき現代につながる。歴史を知ることでより競馬を深く楽しめるように、競馬ファンとこれから競馬をやりたい人にも、ぜひ知っておいて欲しい競馬の歴史を紹介した。