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ハンドボールで最注目!宮崎大輔選手の功績

2016 12/16 20:07
宮崎大輔,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

2006年のスポーツマンNo.1決定戦で総合No.1を獲得し、知名度を高めたハンドボールという競技と宮崎大輔選手の名前。メジャー級の人気がある競技とは日本ではまだまだ言い難い、ハンドボール界における宮崎大輔選手の功績や経歴をまとめた。

ハンドボールってどんなスポーツ?

ハンドボールとは、40m×20mのコートの中で、1チーム7名構成(コートプレイヤー6名・ゴールキーパー1名)の2チームで勝敗を争うスポーツだ。選手交替は交替エリアから自由。高校生以上は前半・後半各30分ずつの60分で試合が行われ、勝敗が決まらなかった場合は10分間の延長が設けられる。使っていい身体部分はひざから上のみで、足でボールに触れると反則になる。ボールを持っていていいのは3秒まで、ステップは3歩までだ。

ハンドボールの認知度をあげた宮崎大輔選手

日本ではまだまだマイナーなイメージのハンドボールではあるが、その知名度を上げた功労者といえば、宮崎大輔選手があげられると思う。「ハンドボールをメジャーにしたい」と語り、TV企画『スポーツマンNo.1決定戦』に2006年に初出場し総合No.1を獲得した。番組の放送後にはハンドボールの観客が増加し、プレーオフの前売りチケットが史上初の完売を遂げるなど、ハンドボールという競技と宮崎大輔という名前を一挙に有名にした。
その後、2008年と2009年の同番組でも、宮崎選手は総合No.1に輝いている。

宮崎大輔選手の経歴

宮崎選手は大分県大分市の出身で、小学3年生のころからハンドボールをはじめ、ハンドボールの名門、大分電波高校へと進んだ。高校2年時のインターハイ・3年時の高校選抜とインターハイでそれぞれ得点王に輝いた。通常1試合で10得点獲得すればエース級の活躍といわれるが、1試合平均16.75点という驚異の活躍を見せている。
卒業後は日本体育大学に入学したのち、休学しスペインのハンドボールクラブへ練習生として留学した。その後、大崎電気へ入団し、日本リーグ通算400得点を達成した。その後、スペインリーグ1部のアルコベンタスの入団テストに合格し、チームに加入した。

宮崎大輔選手のスペインでの苦難

アルコベンダスではチームメイトから認めてもらえない日々が続き、パスが回ってこなかったという。そんなとき、日本の選手を代表してきていることや、後に続こうとする人たちのことを思い、恥ずかしさや納得いかないといった気持ちを捨て、チームメイトとコミュニケーションをとることで、だんだんと状況が変化してきたそうだ。
チームメイトの輪に飛び込み、考えていることを理解することで、パスも回ってくるようになり、自身で課したシーズン100得点以上というノルマもクリアした。

宮崎大輔選手の今後の活躍にも注目

ハンドボール界の広告塔を自認していて、チビリンピックなどの若年層への普及や講演活動による選手への啓発、メディアへの露出によるハンドボールの知名度アップなどさまざまな活動を行い、ハンドボールのメジャー化に努めている。東京オリンピック開催が決定し、自身のオフィシャルブログ「ハンドボールメジャー化宣言!」で開催年には39歳になるけれどもオリンピック選手を目指すと述べている宮崎大輔選手。今後の活躍にも注目だ。

まとめ

まだまだメジャー級の人気スポーツとはいいがたいハンドボールではあるが、宮崎大輔選手の活躍で、注目度は上がっている。今後の活躍にも注目し、一緒にハンドボールを盛り上げていきたい。