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体操・跳馬で高難易度の技を生み出した名選手

2017 1/30 21:11
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Photo by Leonard Zhukovsky / Shutterstock, Inc.

体操の個別種目の中で最も競技時間の短い跳馬。選手たちは1回の技にすべての力を注ぎこむ。そのため、他の種目と比べても高難度の技が披露されることが多くある。跳馬種目において数々のの技を生み出してきた名選手5人を紹介する。

中国体操界のスター・李小鵬

李小鵬(り・しょうほう)選手は、平行棒と跳馬を得意とする中国の選手。15歳の時に国家代表に選抜され、初めて代表として出場した1997年の世界選手権以来、個人と団体合わせて中国体操史上最多の金メダル16個(オリンピックで4個、世界選手権で8個、ワールドカップで4個)を獲得した名選手だ。2009年に引退するまでの選手生活では負傷に悩まされることが多かった李選手だが、高難易度の演技構成で世界トップクラスの技の美しさを誇ると称されていた。
特に跳馬で彼がはじめて成功した“ロンダートからの伸身クエルボ二回ひねり”をする技は、彼の名である「リー・シャオペン」の技名が付けられ、2016年現在、価値点6.2と高難度の技になっている。

跳馬の神様・梁鶴善

梁鶴善(ヤン・ハクソン)選手は韓国で「跳馬の神様」と称されるほど跳馬を得意としている名選手。2010年のアジア競技大会での金メダルを皮切りに、2011年、2013年と世界体操競技選手権では2連覇を達成している。梁選手が跳馬の名選手として世界に広く知れ渡るきっかけとなったのが、2012年のロンドンオリンピックだ。決勝1回目では、前転とび前方伸身宙返り3回ひねりを披露。2回目は「ロペス」と呼ばれる伸身カサマツとび2回ひねりを完璧に成功させる。
その結果、平均16.533点という高得点を叩きだし、韓国史上初のオリンピック体操の金メダルを獲得することになったのだ。そして、1回目で披露した前転とび前方伸身宙返り3回ひねりは、「ヤン・ハクソン」と命名。価値点6.4と最高難度の技となっている。

床だけではない!ひねり王子・白井健三

日本では「ひねり王子」として知られている白井健三選手。2011年の全日本体操競技選手権大会で中学3年生ながらも床種目で2位になったことで有名になった。それ以来、数々の世界大会で「シライ/グエン」、「シライ2」、「シライ3」など自身の名が付けられた高難度のひねり技を披露。2013年の世界選手権で17歳1ヶ月と男子史上最年少で金メダルを獲得するなど床のスペシャリストとして活躍してきた。そんな白井選手だが、跳馬でも伸身ユルチェンコとび3回ひねりを成功させたことで、韓国の金煕勲選手と連名で「シライ/キム・ヒフン」と命名。
2016年のリオデジャネイロ・オリンピックでは初出場ながらも団体金メダルに貢献。個人跳馬では、「シライ/キム・ヒフン」を発展させた伸身ユルチェンコとび3回半ひねりを披露。これが「シライ2」と命名され、見事銅メダルに。1984年のロサンゼルス・オリンピック以来となる32年ぶりの跳馬種目でのメダル獲得となったのだ。

日本体操界の黄金期を支えた塚原光男

続いて、鉄棒で「月面宙返り(ムーンサルト)」を生み出したことで有名な塚原光男選手。主に鉄棒のスペシャリストとして有名だが、平行棒とつり輪などでもトップクラスの実力。1968年のメキシコ・オリンピック以来、世界選手権、ワールドカップなどで個人、団体合わせて数々のメダルを獲得していて、1970年代の日本体操競技の黄金期を支えてきた名選手だ。
跳馬では、「ツカハラ」と命名された側転跳び1/4ひねり後方かかえ込み宙返りを生み出した。引退後の現在は、2012年のロンドン・オリンピックで日本選手団の総監督を務めるなど後進の育成に。息子の塚原直也も2004年のアテネ・オリンピックで団体総合で金メダルを獲得し、日本五輪史上初の父子金メダリストとなり、紫綬褒章も受賞している。

殿堂入りも果たした日本のエース・笠松茂

笠松茂選手は前項の塚原選手と同時期に活躍した選手だ。1972年のミュンヘン・オリンピックでは、団体総合金メダルなど4個のメダルを獲得。この時期の「日本のエース」と呼ばれ、特に個人総合ではNHK杯や世界選手権などでメダルの常連となっていた。
跳馬では、側転とび3/4ひねり後方かかえ込み宙返りという技で「カサマツ」と命名されている。引退後には紫綬褒章を受章し、2007年には国際体操殿堂入りを果たしているなど日本を代表する名選手だ。

まとめ

跳馬では演技中に1つの技のみを披露することができる。たった1つの技にどれだけ高難易度の技術を組み込み、美しく見せるのかが重要になってくる。観戦しているとあっさりと終わってしまう跳馬だが、このような背景も考慮してみると数々の技が生み出されてきた理由が分かる。