第5位 倉本昌弘 日本ツアー優勝数30勝
1955年生まれ、広島県出身の倉本昌弘がゴルフを始めたのは10歳からだ。アマチュア時代には日本ジュニアゴルフ選手権で優勝し、日本学生ゴルフ選手権で4連覇を成し遂げた。
1981年にプロへ転向し、初戦の和歌山オープンで優勝すると、ツアー競技でも早々に4勝を挙げ賞金ランク2位に。また、1982年の全英オープンでは日本選手歴代最高の4位となり、初出場した日本プロでは優勝している。
ツアー通算30勝を挙げた倉本はシニア入り後も活躍し続けており、日本シニアオープンゴルフ選手権では2度の勝利を挙げている。小柄で筋肉質な体型から「ポパイ」の愛称で親しまれた。
第4位 尾崎直道 日本ツアー優勝数勝32勝
1956年生まれ徳島県出身、15歳からゴルフを始めた尾崎直道がプロの世界に入ったのは1977年だった。
初優勝は1984年と遅めだが、同年に3勝を挙げ賞金ランクは2位に。初めて賞金王となったのは1991年で、1993年には米国ツアーのシード権を獲得し2001年までプレーしている。ここでの最高成績は2位だった。同時に日本でも活躍し続け、1999年には2度目の賞金王に輝き、日本プロと日本オープンを制したことで史上5人目となる日本タイトル4冠も達成している。
愛称は長兄のジャンボと次兄のジェットにちなんで、頭文字Jで始まるニックネームを公募したところ、「ジョー」に落ち着いた。
第3位 中嶋常幸 日本ツアー優勝数48勝
群馬県出身、1954年生まれの中嶋常幸がゴルフを始めたのは10歳の頃。父の英才教育により、1973年の日本アマを当時最年少記録となる18歳で優勝している。
プロ入りした1975年の翌年に初勝利を挙げ、1977年は戦後最年少の22歳で「日本プロ」を制し、1982年は青木功を抑えて初の賞金王に輝いた。ツアー年間最多勝記録となる8勝をマークした1983年は日米ゴルフでも逆転優勝し、2年後の1985年に史上初年間獲得賞金1億円を突破。海外のメジャー4大会すべてにトップ10入りした初めての日本人選手でもある。
2004年からはシニアツアーでも活躍しており、日本シニアオープンと日本プロシニアでの優勝にレギュラーツアーを合わせ、史上初日本タイトル6冠をも成し遂げている。選手育成のため2012年から立ち上げたヒルズゴルフトミーアカデミーの「トミー」は中嶋の愛称だ。青木功や尾崎将司と並ぶ名選手だったことから、3人の頭文字から「AON時代」と言われている。
第2位 青木功 日本ツアー優勝数51勝
千葉県出身、1942年生まれの青木功がゴルフと出会ったのは、ゴルフクラブでキャディのアルバイトしていた中学生の頃。
中学卒業後はキャディとして働き、1964年にプロ入りし翌年には日本ツアーデビューする。1971年の関東プロで初優勝し、1973年には5勝と躍進。1976年に初めての賞金王を手にし、その後1978年から4年連続で賞金王に輝いた。
同時に海外でも活躍し始め、1980年の全米オープンでは準優勝し、同じ年の全英オープン3日目では当時のメジャータイ記録63をマークしている。米国ツアーライセンスを1981年に取得し、1983年にハワイアンオープンで初優勝(日本人初の米ツアー優勝)する。1989年豪州ツアーのコカ・コーラクラシックで優勝したことにより、日米欧豪の4ツアー優勝を成し遂げた。
2004年に日本人男子として初めて世界ゴルフに、2013年に日本プロゴルフに殿堂入りし、2015年に旭日小綬章を受章した。
第1位 尾崎将司 日本ツアー優勝数94勝
1947年生まれ徳島県出身の尾崎将司の愛称、「ジャンボ尾崎」はあまりにも有名。抜群の飛距離と持ち前のキャラクターが人気で、ゴルフ人気の火付け役と言っても過言ではないだろう。
プロ野球(西鉄ライオンズ)からの転身だったこともあり、ゴルフを始めたのは21歳の頃だった。プロデビューから2年目の1971年に日本プロで初優勝し、それを皮きりにわずか3か月で5勝している。また、1973年の初代を始め通算12度、歴代最多の賞金王でもある。
1996年ダンロップフェニックスで前人未到の100勝達成により通算勝利数を113回(うち日本ゴルフツアー94勝)まで伸ばし、2002年の全日本オープンではツアー制施行以来の最年長優勝(55歳7か月29日)を記録。世界ゴルフ殿堂入りを果たした2010年以降には、66歳で出場した2016年つるやオープン初日に63をマークし、レギュラーツアー史上初のエージシュートを成し遂げた。現在は若手の育成に力を注いでいる。