高校生で日本と世界のダブルでタイトルを獲得
6歳からゴルフを始めた池田勇太選手。高校3年の時に「日本ジュニア」と「世界ジュニア」のタイトルをダブルで獲得した。また、日本オープンでは25年ぶりで高校生としてのローアマに輝くなど、ジュニア時代からその才能をいかんなく発揮してきた。
東北福祉大学に進学してからも、2005年、2006年と連続して日本学生ゴルフ選手権で優勝し、日本アマでもベスト4の成績を残すなど、学生時代から将来のゴルフ界を担う逸材と期待されていた。そして、2007年にプロ転向し、2008年に賞金ランキング52位でシード権を獲得。実質1年目での初シード選手となった。
プロ入りした2年目に3勝を挙げて賞金ランク2位に
プロ入りして実質2年目のシーズンを迎えた2009年、池田勇太選手は6月に行われた日本メジャーの「日本プロゴルフ選手権大会」でぶっちぎりの14アンダー7打差で初優勝した。同シーズンはその後も3勝を挙げて、賞金ランキング2位となりトッププロの仲間入りを果たした。
翌年春にはマスターズに石川遼選手や片山晋呉選手らと出場し、見事決勝ラウンドに進み単独29位でフィニッシュ。池田選手は世界で戦った自信を付け、その後日本ツアーで大活躍を続けるのだ。
2016年、初の賞金王など7タイトルを獲得
池田選手はプロ入り後2016年まで毎年1勝以上を挙げており、2012年には最年少26歳9か月でツアー10勝目に到達し、当時の最年少記録を作りった。また、2014年には日本オープンゴルフ選手権の初タイトルを獲得し、20代で日本オープンと日本プロを制した6人目の選手となった。
その後も毎年賞金ランクベスト10に入り、2016年には遂に賞金王に輝き、合わせて「最優秀選手賞」「平均ストローク賞」「平均パット賞」「バーディ率賞」など7つのタイトルを獲得し、最高のシーズンとなった。
選手会長として奔走、新たなトーナメントの開催に尽力
池田選手は2013年に日本ゴルフツアー機構(JGTO)の選手会長に最年少で就任した。2016年に宮里優作選手と交代するまでの3年間会長職を務め、これは最長記録だった。会長就任時、池田選手はトーナメントに出場し続ける一方で、合間を縫ってスポンサーや主催者に会うため全国を巡る日々を送って来た。
そして会長として悲願だった新トーナメントの実現に向けて奔走。2016年2月に行われた「レオパレス21ミャンマーオープン」は池田選手の努力が実った新トーナメントだった。
112年ぶりに復活した五輪ゴルフ競技に日本代表として出場
2016年は2億円を突破して初の賞金王他数々のタイトルに輝くなど、池田勇太選手にとってベストシーズンになった。そして、ゴルフが112年ぶりに夏季五輪の正式競技として復活し、池田勇太選手は片山晋呉選手とともに日本代表として出場した。
池田選手は最終ラウンドで69のスコアで回り一時入賞圏内6位まで追い上げたが、結果として21位に終わった。メダルは逃がしたが、日本を代表して戦い悔しさを味わった経験でのなかで見つけた「次の東京五輪も目指す」という新たな目標に向けた、池田選手のさらなる飛躍に期待がかかる。
まとめ
池田勇太選手は2016年に賞金王などの数々のタイトルに輝き、リオデジャネイロ五輪にも日本代表として出場するなど最高のメモリアルイヤーになった。まだ31歳、ゴルファーとしてはまだまだ伸びしろが残されている年齢だ。2017年は何勝するのか、そしてどんなプレーを見せてゴルフ界を盛り上げてくれるのか、大いに期待されている。