ジュニア時代は石川遼選手と切磋琢磨し、大学生でマスターズに出場
松山英樹選手は愛媛県松山市の出身で、父親の影響から4歳でゴルフを始めた。中学2年生の時にゴルフ部がある明徳義塾中学校に転校し、同高校卒業後は東北福祉大学に進学。ジュニア時代は同学年の石川遼選手と常に優勝を争っていた。
大学に入学した年に「アジアアマチュア選手権」で日本人として初優勝を飾り、翌週行われた日本オープンでも堂々3位に入った。また、2011年のマスターズでも予選を通過し、同年の日本ツアーでアマチュア3人目の優勝者となった。
2013年にプロ入り、2戦目の「つるやオープン」で優勝
松山選手は2012年の世界アマチュアゴルフランキングで1位を獲得。ライバルでいち早くプロ入りしていた石川選手の後を追い、大学在籍中の2013年4月にプロ転向した。そして、プロ転向から僅か2戦目の「つるやオープン」で、最終日に米国のデビッド・オーとの一騎打ちを制し1打差でプロ入り初優勝を飾った。
プロ転向から2試合目での優勝は1999年の日本ゴルフツアー機構発足後の史上最短だった。その年通算4勝を挙げて、初のルーキー賞金王に輝いた。
プロ入りした年の海外メジャーで2戦連続10位以内の快挙
プロ入りした2013年に国内4勝を挙げた松山選手は、同年の全米オープンで10位タイ、初めて出場した全英オープンでは6位タイに入り、海外メジャーで2戦連続トップテンという日本人選手としては初の快挙を達成した。
また、秋に行われた米国選抜対世界選抜のプレジデンツカップの世界選抜メンバーに選出。年末に行われたジャパンゴルフツアー表彰式では、最優秀選手賞など9冠という史上最多記録を作り、ルーキーとしてゴールデンイヤーになった。
2016年の終盤は世界タイトル獲得など大ブレイク
松山選手は翌2014年から米国を戦いの主舞台に選ぶ。5月のメモリアルトーナメントで初優勝を飾った。その後2015年のマスターズで5位に入るなど常に試合では健闘していたが勝利には届かず、2勝目を挙げたのは2016年2月に行われたフェニックスオープンだった。
そして、同年の日本オープンで国内メジャータイトルを獲得し、10月のHSBCチャンピオンズ(世界選手権)で日本人として初優勝。大ブレイクした1年だった。
日本人選手初のメジャータイトルがいよいよ視界に
松山選手はプロ入り3年目から米国に参戦し、ツアー優勝やメジャー大会での好成績から史上最高の日本人選手としての道を歩んでいる。ライバルの石川選手が高校在学中にプロ入りしたのに対し、松山選手はそれから5年後、大学4年生のときにプロの世界に入った。
プロ入り後の活躍は目を見張るもので、2016年までの成績を観ると石川選手とプロ勝利数はほぼ互角だが、メジャーでの成績では大きく圧倒している。米国のメディアも「世界で最もホットな選手」と注目しており、今年はマスターズから始るメジャー大会制覇に大きく手が届いている存在だ。
まとめ
これまで数多くの日本人選手が米国のツアーに参戦してきたが、松山英樹選手は間違い無く今までで最高の選手だ。まだ米国ツアー3年目ながら勝利を重ねており、世界のゴルフ界をけん引する存在になりつつある。「日本の至宝」としてメジャー取りに挑む松山選手について功績などを紹介した。