初出場の日本女子オープンでベストアマを獲得
野村敏京(のむら・はるきょう)選手はUSLPGAツアーを主戦場に戦う女子プロゴルファーだ。2016年リオオリンピックに日本代表として出場、4位の好成績で入賞を果たした。1992年生まれ、出身は神奈川県横浜市だ。父親が日本人、母親が韓国人の日韓ハーフで、5歳の時韓国に渡り、高校までを韓国で過ごす。ゴルフとの出会いは10歳の時なのでそれほど早くはない。ゴルフを勧めたのは韓国の祖母、ゴルフを教えたのはハワイに住む叔父さんだった。
ジュニア時代は日本の大会で活躍する。2007年には日本ジュニアゴルフ選手権競技女子12歳?14歳の部で優勝すると、2008年には大人の大会にも参戦して徐々に結果を残す。2009年は飛躍の年になった。アマチュアゴルファーなら誰もが憧れる国内最高峰大会、日本女子オープンへの出場が叶ったのだ。
出場権は6月に行われた日本女子アマチュアゴルフ選手権競技で獲得した。マッチプレーに進める32名を決める予選では、29位タイに9人が並ぶ大接戦をプレーオフで切り抜けると、マッチプレー1回戦は鈴木愛選手、2回戦は土岐香織選手に勝ちベスト8に進出して、日本女子オープンへの出場権を獲得した。
初出場のコメントは、「優勝を狙って頑張ります」だった。その日本女子オープンでは全体15位タイでベストアマチュアを獲得する活躍であった。
USLPGAでスタートを切ったプロ1年目
2010年には日本での女子プロゴルフツアーへの出場は12試合と飛躍的に多くなる。そのうち7試合で予選を通過して決勝まで駒を進めている。しかし成績は平凡な結果しか残せず、最高は富士通レディースの12位タイだった。
この年、野村選手は12月に行われたUSLPGAのクォリファイングトーナメント(QT)を受ける。受験年4月1日時点で18歳以上の規定がある日本LPGAのQTは受けることができなかったからだ。USLPGAのQTは20位までに翌シーズンのほぼ全試合の出場権、21?45位までに限定的な出場権が与えられる。勿論、目標は20位以内だったが、そこには入れず、限定試合数の40位で通過した。
プロ初年度の2011年はUSLPGAでスタートを切る。3月のRRドネリー LPGA ファウンダーズカップがプロ初試合となった。東日本大震災の支援活動が行われたこの大会は予選落ちに終わったが、4月の下部ツアーでは優勝、5月のアヴネットLPGAクラシックは予選を通り37位と成績を残した。
日本でのプロデビューは5月に行われた中京テレビ・ブリヂストンレディスオープンだった。この試合で思いがけない出来事が起こる。
日本初戦で手にしたプロ初優勝
USLPGAでプロゴルファーのスタートを切った野村選手は、下部ツアーながら優勝も飾り、まずまずの滑り出しだった。
国内プロデビューは中京テレビ・ブリヂストンレディスオープンで果たす。日本LPGAの出場権はなく、主催者推薦による出場だった。初日-6で単独首位、2日目は-3で回りトータル-9とアン・ソンジュ選手に2打差をつけて最終日を迎える。最終日もノーボギーの-4で回ると、そのまま逃げ切りに成功、優勝してしまった。2位に3打差をつけての完全優勝だ。
これで向う1年間の出場権を手に入れた野村選手は、TPD単年登録を行い、日本ツアーとアメリカツアーを掛け持ちで戦うことになるのだ。
2011年シーズンはUSLPGAツアーには10試合出場したが、結果は残せなかった。獲得賞金額50,106ドルでランクは94位と80位までに与えられる来季シード権を獲得できていない。一方の日本LPGAツアーには11試合の出場で、賞金獲得額は9,044,568円でランクは64位とこちらもシード権は取れなかった。
虻蜂取らずの格好になった両ツアーへの挑戦だったが、この年は日本LPGAでQTを受け3位通過で2012年出場権を確保している。
何かを持ってる?ぎりぎりで手に入れた出場資格
2012年は比重を日本に移しての戦いとなった。この年の日本LPGAツアーには22試合に出場する。しかし、成績は必ずしも満足のいくものではなかった。ベスト10が3試合あるものの優勝はなしで賞金獲得ランクは51位だった。
来季シード権には届かない成績だったが、永久シードの不動選手がシード権ランクから除かれるため、繰り上げでシード権を獲得する。
一方USLPGAツアーは出場試合は5試合にとどまり、賞金ランクも135位と低迷、撤退を余儀なくされる。
2013年は日本に専念して、日本LPGAツアーには27試合に出場する。この年も優勝はなかった。それでも、アクサレディスゴルフトーナメント in MIYAZAKI の2位などベスト10が5試合あり、賞金額も35,968,313円を獲得して、賞金ランクも29位に躍進、来季シード権も余裕で獲得する。
しかし野村選手はUSLPGAツアーへの道を諦めきれなかった。再びQTからの挑戦だ。今回のQTはぎりぎりの同点19位ながら20位以内に滑り込んで、来季出場権を獲得、2014年からは主戦場をUSLPGAツアーに移して戦うことになった。
USLPGAで初優勝、そしてオリンピックへ
野村選手にとって2014年、2015年は単調な年で終わった。そして2016年はオリンピックイヤーだ。日本女子の出場枠は2人が濃厚で、2016年7月11日時点のワールドランキング順で決まる。野村選手の2016年始めのランキングは79位と日本勢では9番目の位置だった。
しかしここから野村選手のゴルフが変わる。3戦目となるISPSハンダ・オーストラリアン女子オープンで世界ランキング1位リディア・コ選手との接戦に競り勝ち、アメリカLPGAでの初優勝を手繰り寄せる。この時、リディア・コ選手より私の方が上だといった優勝会見は野村選手の負けず嫌いな性格をよく表している。
この優勝で世界ランクは48位に躍進、宮里美香選手、大山志保選手に次ぐ日本勢3位となりオリンピック代表争いに名乗りを挙げた。好調は続き4月のスインギング・スカートLPGAクラシックで2勝目を挙げると、世界ランクも23位まで浮上、オリンピック代表の座を確実にする。
大山選手と出場したリオオリンピックでは4位とメダルには一歩届かなかった。それでも、2016年は27試合に出場して、優勝2回、賞金獲得額1,228,295ドルでランキング11位と結果を残した。大躍進を遂げ今後が楽しみだ。次はメジャータイトルに挑戦してほしい。