世界中を感動させた「世界のアオキ」青木功
最盛期には、日本人としてはじめてアメリカ・ヨーロッパのゴルフツアーで優勝を決めるなど、日本ゴルフ界のスーパースター青木功。ピンから100ヤード以内の寄せは今だに健在。
「100ヤード以内のショットを打たせたら世界一」と言われた時代もあり、2004年には世界ゴルフ殿堂入り、2009年には紫綬褒章を受章するなど栄誉も与えられた。2016年からは日本ゴルフツアー機構の会長に就任し、日本男子ゴルフ界のてこ入れにも力を入れている。
最盛期には、日本人としてはじめてアメリカ・ヨーロッパのゴルフツアーで優勝を決めるなど、日本ゴルフ界のスーパースター青木功。ピンから100ヤード以内の寄せは今だに健在。
「100ヤード以内のショットを打たせたら世界一」と言われた時代もあり、2004年には世界ゴルフ殿堂入り、2009年には紫綬褒章を受章するなど栄誉も与えられた。2016年からは日本ゴルフツアー機構の会長に就任し、日本男子ゴルフ界のてこ入れにも力を入れている。
賞金王をとること、実に13回!1994年から98年まで6年連続賞金王。大きな身体と豪快なスイング・飛距離から、「ジャンボ尾崎」と呼ばれた尾崎3兄弟の長男で、次男・建夫は「ジェット尾崎」、三男・直道は「ジョー尾崎」と呼ばれ、それぞれプロゴルファーとして活躍した。
手首を曲げて手を突き出す「コブラガッツポーズ」は有名。実は元プロ野球選手で西鉄ライオンズに3年間所属していたのは隠れたトリビアだ。
日本で44勝、海外で18勝、獲得賞金は8億円以上!今日女子ゴルフ界が隆盛を誇るその礎を作ったのは岡本綾子と言っても過言ではないだろう。1987年には全米女子の賞金王を獲得。当時アメリカ人以外で全米女子の賞金王を獲得した選手は初めてだったため、世界中に一躍「ナオコ・オカモト」の名が知れ渡った。
どんなスポーツに限らず、今では海外で活躍する日本人スポーツ選手は珍しくないが、その先駆けとも言える偉大な選手だ。
若くから天才ゴルファーの名前をほしいままにした宮里藍。同じくプロゴルファーの宮里聖志と優作は実の兄である。
彼女が日本のプロツアーで初優勝したのは高校3年生(2003年)の時。当時はアマチュアだったため優勝賞金を手に入れることはできなかったが、その後プロに転向し、同世代の横峯さくらとともに一時代を築いた。また、2006年からは主戦場をアメリカに移し、09年「エビアンマスターズ」で待望の米ツアー初勝利。10年には年間5勝を挙げ、2010年には日本人ではじめて世界ランキング1位を記録。17年5月に現役引退を表明した。
日本人プロゴルファーで海外メジャーに最も近づいた男、松山英樹。2013年に日本で4勝を挙げ賞金王を獲得。その年のメジャー大会では全米オープン10位、全英オープン6位、PGAツアー選手権19位と「すぐにでもメジャー優勝をするのではないか?」と話題をさらった。
2014年から参戦したPGAツアーでは「ザ・メモリアルトーナメント」で初優勝を経験。その後、2016年と17年には「WMフェニックスオープン」でも優勝している。