生まれは広島県
岡本綾子さんは、1951年に広島県の東広島市で生まれた。実家は農家で、ジャガイモやタバコを栽培していた。岡本さんは小さな頃から両親の手伝いをしていた。力仕事が多かったため、ここでの手伝いがトレーニング代わりとなって鍛えられたのだ。
岡本さんは、女性ながら運動能力が男性並みに高く、子供の頃は男の子に混ざって野球をしていたそうだ。中学校に進学してからも、野球を続けようとしたが、野球部に入部することはできなかった。
Ⓒゲッティイメージズ
女子プロゴルファーの岡本綾子さんといえば、ゴルフにあまり詳しくない人でも知っているような超有名人だ。 彼女はなぜここまで有名になれたのだろうか? 今回は、岡本綾子さんの現在に至るまでの功績について、紹介したいと思う。
岡本綾子さんは、1951年に広島県の東広島市で生まれた。実家は農家で、ジャガイモやタバコを栽培していた。岡本さんは小さな頃から両親の手伝いをしていた。力仕事が多かったため、ここでの手伝いがトレーニング代わりとなって鍛えられたのだ。
岡本さんは、女性ながら運動能力が男性並みに高く、子供の頃は男の子に混ざって野球をしていたそうだ。中学校に進学してからも、野球を続けようとしたが、野球部に入部することはできなかった。
小学生の時に野球をしていた経験から、中学ではソフトボール部に入部した。そこでもすでに非凡な才能を開花させており、高校生になると、ソフトボール部の特待生として愛媛県の今治明徳高校に入学する。
卒業後、ソフトボールの選手として就職をして、国体の優勝祝いでハワイに行った時にゴルフ場を見学したことが、岡本さんとゴルフとの初めての出会いだった。プロゴルファーというと子供の頃からプレーしているイメージがあるが、岡本さんは大人になってから出会ったようだ。
1973年に池田カントリークラブに入社して、翌1974年には2回目のプロテストで合格する。
アメリカでプレーしたいと豪語していたため、当時は生意気な選手だと批判されることがあった。しかし、ソフトボールの経験からリストが強く、バネがあった岡本さんは、めきめきと実力をつけていき、1979年には日本女子プロゴルフ選手権で見事に優勝する。
異常にパワーのある選手としてファンも多く、ドライバーの飛距離は当時の男子並みの250ヤードほど飛ばしていた。
1979年からスポット的にアメリカの女子ツアーに参戦する。そして、1983年には日本の女子プロゴルファーとして初めてアメリカのLPGAツアーに参戦した。この時、岡本さんは32歳だった。アメリカでも、そのパワーもさることながら、正確なショットが素晴らしいと絶賛されていた。
初参戦の1983年に最初の優勝を果たし、翌年には3勝とさらに実績を積み重ねた。腰痛に悩まされ、手術を受けたりしながらも、なんと海外女子ツアーで18勝という驚異的な結果を残したのだ。
海外で18勝、日本で44勝を挙げた岡本さんは、ここで選手としての人生に区切りをつける。広島に戻って農業とゴルフを続けていた時、ミズノから指導者としての依頼を受ける。
岡本さんは、服部真夕選手や森田理香子選手をはじめ、さまざまな有名女子プロゴルファーからのオファーを受けて指導していく。岡本さんの指導は個人レッスンではなく、チームとしての共同レッスンだった。食事もできる限り一緒にとり、仲間意識・ライバル意識を持ってもらうようにしていた。
今回は、女子プロゴルフ界のレジェンドである岡本綾子さんについて紹介した。 岡本さんはソフトボールで培った経験をゴルフに活かし、破竹の勢いで実績を重ねていった。 名選手でありながら名指導者でもある岡本さんの生徒の活躍にも期待したい。