プロ転向後、デビュー戦で優勝!
1981年にプロテストに合格した倉本昌弘選手は、プロ転向後のデビュー戦でいきなり優勝という偉業を達成した。その後はデビューから4戦で3勝という快挙を達成(しかも、残りの1戦は2位)。デビューを果たした1981年には合計6勝を挙げ、新人としては史上最高となる賞金ランク2位にランクインした。
このような例は、日本のプロゴルフ界はもちろん、世界的に見ても稀なことで、新人ながら連日メディアでも報道された。
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日本プロゴルフ協会の会長としても知られる倉本昌弘選手。 1980年代のゴルフブームを牽引したプレイヤーでもある。 そんな倉本昌弘選手の偉業について紹介する。
1981年にプロテストに合格した倉本昌弘選手は、プロ転向後のデビュー戦でいきなり優勝という偉業を達成した。その後はデビューから4戦で3勝という快挙を達成(しかも、残りの1戦は2位)。デビューを果たした1981年には合計6勝を挙げ、新人としては史上最高となる賞金ランク2位にランクインした。
このような例は、日本のプロゴルフ界はもちろん、世界的に見ても稀なことで、新人ながら連日メディアでも報道された。
毎年7月中旬に開催されるゴルフのメジャー大会のひとつ「全英オープン」では、1982年に日本人プレイヤーの過去最高位である4位タイにランクイン。この功績によって人気を呼び、倉本昌弘選手が全英オープンで着たブラックとホワイトのベストの売り上げが2倍になったと言われている。
なお、倉本昌弘選手は、ボールと手袋とバッグがブリヂストンスポーツ、靴がジョンストン&マーフィーなど、クラブ以外のアイテムはすべて専属契約を結んでいた。
かつてプロゴルファーのCM出演は、ボールやウェアなどのゴルフ関係に限定されていたが、倉本昌弘選手は久光製薬が製造・販売する「エアーサロンパス」や世界的な飲料メーカー「コカ・コーラ」など、ゴルフ関係に限らず数々のCMに出演。「暗い」「おじさんくさい」など、プロゴルファーが世間から抱かれがちだったネガティブな印象を払拭することに成功した。
このように、倉本昌弘選手は、これまでの世間のイメージを破った最初のプロゴルファーでもあったのだ。
倉本昌弘選手は、プロゴルフツアーの公認試合に出場する権利を半永久的に保障する制度である「永久シード権」を1992年に獲得している。通常、プロゴルフツアーの公認試合では、ツアー主催団体が定めた規定に該当するプレイヤーでなければ出場権を得ることができない。しかし、永久シード権を獲得すると、出場する意欲がなくならない限り出場権が与えられるのだ。
倉本昌弘選手以外には、青木功選手、尾崎将司選手、中嶋常幸選手、杉原輝雄さん(故人)、尾崎直道選手、片山晋呉選手が永久シード権を獲得している。
役職についたことによる激務からか、苦難のシーズンが続くことになった倉本昌弘選手。さらに2000年には「心臓弁膜症」の手術を受けるなど、勝てない日々が長く続いていた。
しかし、2003年に開催された大会「アコムインターナショナル」の初日において、日本ツアー史上最少スコア(当時)であり、世界でもタイ記録となる59ストロークという記録を樹立。しかも、記録達成者としては最年長となる48歳での偉業だった。
数々の偉業を達成した倉本昌弘選手だが、世間に対するゴルフのネガティブなイメージを払拭するという貢献もしていたのだ。 60歳を過ぎた現在でも現役ということで、今後の活躍にも期待したい。