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女子プロゴルフ人気の原点、宮里藍選手の実績と功績

2016 12/21 19:03
ゴルフ
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Photo by mooinblack / Shutterstock.com

女子プロゴルファー宮里藍選手は、みなさんご存じだと思う。 宮里選手の生い立ちや実績、現状などを、かいつまんで紹介したい。

ゴルフ一家に生まれゴルフの道へ

宮里藍選手は1985年、沖縄県で3人兄妹の末っ子として生まれた。父親の宮里勇氏はゴルフのインストラクターをしており、4歳の頃よりクラブを握った。2人の兄、宮里聖志選手と宮里勇作選手もプロゴルファーとして活躍するゴルフ一家だ。
宮里藍選手は、小学生の頃よりゴルフ大会に出場して腕を磨く。初出場は小学校2年生の時の沖縄ジュニアゴルフだった。小学4年生でジャパンカップ世界ジュニアゴルフ選手権2位、小学5年生で沖縄ジュニアゴルフ大会優勝と、徐々に頭角を現す。
中学2年生で全国中学ゴルフ選手権に優勝すると、中学3年生では沖縄で行われているプロのトーナメント、ダイキンオーキッドレディスに初出場と活躍の場を広げた。

プロのトーナメントで優勝して高校生プロゴルファーに

2000年に中学3年生で初めて経験したプロのトーナメントでは1打及ばず予選落ちを喫したが、サントリーレディスオープンでは予選を通過、23位タイと成績を残した。当時、次兄の勇作選手は仙台市のゴルフ名門校・東北福祉大学で活躍中だった。藍選手も、中学を卒業すると仙台市にある東北高校に進学する。
高校進学後は全国高等学校ゴルフ選手権優勝などでアマチュアとして活躍するが、プロのトーナメントにも積極的に参戦して結果を残すようになる。
迎えた2003年9月、宮城県で行われたミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで優勝する。このニュースは日本中を駆け巡り、一躍時の人となった宮里藍選手は、9日後にプロ宣言を行い、高校生プロが誕生した。

女子ワールドカップゴルフの初代チャンピオンに

プロ2年目の2004年は宮里藍選手にとって飛躍の年となった。ダイキンオーキットレディスをはじめ優勝5回で獲得賞金額も1億2千万円を越える。残念ながら賞金女王レースでは不動裕理選手に及ばず2位だったが、3位の北田瑠衣選手が6千万円弱だったので、上位2人の突出ぶりがわかる。
翌2005年、女子ワールドカップゴルフの第1回大会が南アフリカで行われた。この大会に北田選手と組んで出場して、見事初代チャンピオンに輝く。国内でも快進撃を見せ、日本女子オープンを含む6試合で優勝、賞金女王も目前だったが、アメリカツアーのQTを受けるため最終戦を欠場、またしても不動選手に次ぐ2位に甘んじることになった。

11週間続けた世界ランキング1位

宮里藍選手は、出場権を掛けたQTをトップで通過、2006年から本格的にアメリカツアーに参戦する。すぐにでも優勝してもおかしくないと思われたが、簡単に勝たせてはもらえなかった。2006年、全米女子プロゴルフ選手権で1打差の3位、2007年、世界女子マッチプレーで準優勝、2008年、全英オープン5位とあと一歩手が届かない。
初優勝は2009年にフランスで行われたエビアンマスターズだった。この年は全英オープン3位タイ、全米女子オープン6位タイと好調で、賞金ランクも3位に上昇する。2010年も好調が続き、開幕から2戦連続優勝、結局年間5勝を挙げ、ワールドランキング1位を11週間続けた。

2012年を最後に優勝から遠ざかる

宮里藍選手は、2011年に2年前に初優勝を果たしたエビアンマスターズで優勝する。2011年3月の東日本大震災後の初めての優勝だった。
高校時代を仙台市の東北高校で過ごした宮里選手は、震災への思いが強く、優勝賞金の中から2,000万円を寄付した。それに先駆け、震災直後にはアメリカ女子ツアーで活躍中の宮里美香選手、上田桃子選手らと世界に向けて被災者支援を呼び掛けている。
そんな宮里選手だが、2012年に2勝を挙げた後は優勝がない。成績不振に伴い、国内での参戦もめっきり少なくなった。もう一度優勝の姿を見せてほしい。

まとめ

女子プロゴルファー宮里藍選手の生い立ちや実績について紹介した。 ゴルフ一家に生まれた宮里選手は当然のようにゴルフの道に進む。そして、高校生でプロのトーナメントに優勝すると、プロゴルファーに。 高校生プロの誕生で女子ゴルフ界全体が活性化し、人気へとつながった。 試合数、賞金総額でも成長を続ける日本女子プロゴルフ界の功労者の一人と言えるだろう。

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