全米プロの出場資格や開催コース
全米プロゴルフ選手権は、4大メジャー選手権の1つ。全米プロゴルフ協会(PGA)主催で、毎年アメリカで行われている。他の3大会と違うのは、プロゴルファーしか出場できないということ。出場資格も厳しく、メジャー選手権の優勝者やPGAクラブプロ選手権の上位者など、ワールドランキングで上位に入っていることが条件となっている。
アマチュアゴルファーが出場できない理由は、ゴルフ・プロフェッショナルを統括するPGAが主催者であることが大きい。プロが広く社会から認識される場や社会的な位置づけとして、全米プロは他の3大会と違った大きな意味を持っている。
協会にとって収益は大きく、会員の報酬にも当てられている。全米プロは、大会そのものをショーにする必要があるのだ。そうすれば、プロフェッショナルな興行であるといえるからだ。
この全米プロの性格は、コースセッティングにもはっきりと表れており、プロとしての興行を演出する意向が強く反映されている。ギャラリーが期待するプロゴルファーとしての挑戦、成功、失敗のドラマを楽しめるように仕組まれているのだ。
また、運営側の徹底したプロ意識はトラブル発生時の対処法にも表れている。2014年の大会最終日に豪雨のため大会が中断された際、PGAは必要最小限の対応を瞬時に下し、トーナメントを見事続行させた。
運営側が許されうる所要時間から逆算し、ティーショットの落下地点の雨水を短時間で押し出したり、カップを切りなおしたりと、慌てることなく臨機応変な対応を見せたのだ。
全米プロは実力あるプロゴルファーだけではなく、主催者側も徹底した運営でプロ意識を見せた。まさに、プロによるプロのためのゴルフ選手権なのだ。
過去に優勝した名プレーヤー
全米プロの最多優勝者は、ウォルター・ヘーゲンとジャック・ニクラスの5回。ジャック・ニクラスは、日本のプロゴルファー、青木功と1980年に「バルタスロールの死闘」を繰り広げ、歴史に残る名勝負を演じた。
これに続くのが1990年以降に4回の優勝を記録したタイガー・ウッズで、これは記憶に新しいところだろう。以下、ジーン・サラゼンとサム・スニードの3回となっている。
1991年に優勝したジョン・デーリーは今でこそ有名で広く知られているが、当時はまだ目立たない選手だった。補欠として登録されていたジョン・デーリーは、出場予定だった選手が急遽辞退したことにより、大きなチャンスを得る。
ジョン・デーリーは、ぎりぎりにコースへ到着して練習もなしに大会へ出場したが、思いもよらない好スコアを上げたのだった。彼はトータル276という素晴らしい成績で優勝を決め、周囲の注目を浴びることとなった。
日ごろ目立たない選手が、わずかなチャンスで逆転勝利を収めるのも、プロのみが集まる全米プロならではの魅力といえるだろう。
世界に名を轟かせた日本人選手たち
全米プロでは、過去に歴史的な名勝負を残した日本人がいる。
伝説のバトルといわれる「バルタスロールの死闘」は、帝王ジャック・ニクラスと東洋の魔術師と呼ばれた日本人プロゴルファー、青木功によって繰り広げられた。
1980年、アメリカ合衆国ニュージャージー州、バルタスロール・ゴルフ・クラブで開催された全米プロで、初日、2日目を終えニクラスが首位(6アンダー)、青木が2打差の2位(4アンダー)で迎えた3日目。自国の英雄的存在であるニクラスへの声援は大きいものだったが、青木は落ち着いたいつものプレーを見せ、ついにはニクラスに追いついたのだった。
惜しくも優勝は逃した青木だったが、大舞台のプレッシャーにも負けず、普段どおりのパッティングスタイルで帝王ニクラスと渡り合い、その実力が世界に認められることとなった。
また2013年からは、アマチュアからプロへ移行した松山英樹の活躍が注目されている。毎年全米プロの常連となり、2016年には4位、2017年には5位へランクインする好成績を挙げている。松山は2016年の米ツアー「WGC HSBCチャンピオンズ」で日本人初の世界選手権優勝を果たしており、今後の全米プロ制覇を期待される声が大きい。