メルセデスAMG F1チームの呼称“シルバー・アロー”とは
ドイツにある歴史ある自動車メーカーのひとつとして知られる、スリー・ポインテッド・スターのエンブレムが特徴のメルセデス・ベンツ。そんな由緒ある自動車メーカーがF1に初めて参戦したのは1954年でした。
とは言っても、F1の前身となるレースには1930年代から参戦しており、シルバー・アローという呼称になった有名な逸話が残っています。それは1934年のニュルブルクリンクで開催されたレース。当時の新型マシンが重量規定違反となってしまい、軽量化するため母国のナショナルカラーのホワイトだった塗装を剥がし、アルミをむき出しにしたシルバーのボディで走ったことに由来するとされています。
その後も銀色に輝く矢のように速いという意味の“シルバー・アロー”は、メルセデスチームの代名詞として続いていきます。
メルセデスAMGチームとして2010年から新たにF1に参戦
メルセデスのF1への挑戦は1955年限りで惜しまれつつも撤退。ルマンで起こした事故により、F1だけではなく、メルセデスはすべてのモータースポーツから遠ざかっていました。
しかし、1980年代にはモータースポーツへと徐々に復帰し、あのミハエル・シューマッハ選手などのドライバーを育成するとともに、1990年代にはF1へエンジンサプライヤーとして参戦。
そして、2009年にF1から撤退したホンダのマシンとチームをロス・ブラウンが買収、メルセデスがサプライヤーとしてエンジンを供給し、コンストラクターズとドライバーともにチャンピオンを獲得。そのブラウンGPチームを買い取り、2010年からメルセデスAMGチームとしてF1への本格的な参戦がスタートしました。
2014年からF1界をリードし続けるメルセデスAMGチーム
2010年からメルセデスAMGチームとしてF1へと本格的に参戦。ドライバーにはドイツ出身のニコ・ロズベルグ選手と、2006年に引退していた同じくドイツ出身の“皇帝”ミハエル・シューマッハ選手を起用。若手で実力のあるドライバーと、6回のワールドチャンピオンや数多くの記録を持つ伝説のドライバーのコンビで戦いました。
2012年には名称を「メルセデスAMGペトロナスF1チーム」に変更。第3戦に開催された中国GPでは57年ぶりとなる優勝を果たします。
シューマッハ選手はこの年で引退。2013年からはルイス・ハミルトン選手が移籍。2014年にはハミルトン選手がチャンピオンを獲得し、コンストラクターズも優勝。2015年と2016年もドライバーズタイトルとコンストラクターズの両方を獲得し、王者として君臨し続けています。
メルセデスAMGチームのドライバー、ルイス・ハミルトン
2013年にメルセデスAMGチームに移籍したイギリス人ドライバーのルイス・ハミルトン選手。すでにマクラーレン時代に最年少でワールドチャンピオンを獲得した経験もあるため、若くても実力と実績を兼ね備えたドライバーでした。実は元チームメイトのニコ・ロズベルグ選手とは小さい頃からの親友であり、レーシングカート時代からのライバルでもあります。
2人は激しく戦うあまり、メルセデスAMGチームでも物議を醸すほどのトラブルとなることもありましたが、周囲のサポートもあり2014年・2015年と続けてドライバーズタイトルを獲得しました。
そして、2017年にはライバルのニコ・ロズベルグ選手がチャンピオンを獲得して引退。その引退表明も誰よりも先にルイス・ハミルトン選手に明かしていたほどロズベルグとは関係の深い親友でした。
メルセデスAMGチームのドライバー、バルテリ・ボッタス
2016年にチャンピオンとなったニコ・ロズベルグ選手が引退。しかし、突然の引退発表だったため、メルセデスAMGチームはドライバー探しに困惑します。
そこで目をつけたのが、エンジンサプライヤーとしてサポートをしていたウィリアムズチームのドライバー。それがフィンランド人のバルテリ・ボッタス選手で、それほど性能が良くないウィリアムズのマシンで表彰台に立つなど活躍していました。
ちなみに、ウィリアムズでF1デビューしてからメルセデスAMGに移籍というパターンはニコ・ロズベルグ選手と同じ。そんなバルテリ・ボッタス選手が、王者の風格すらあるルイス・ハミルトン選手とどういった戦いを見せるか楽しみでもあります。
まとめ
2017年もドライバーズタイトルとコンストラクターズ・チャンピオンを目指している、F1チームのメルセデスAMGをご紹介しました。
2014・2015・2016とタイトルを連続で保持している王者のメルセデスAMGチーム。
レギュレーションが大きく変わる2017年、王者としてどういった戦いを見せるのか楽しみですね。