フィギュア界の名コーチといえばこの人「ニコライ・モロゾフ」
ニコライ・モロゾフはロシア生まれ、アメリカ在住のフィギュアスケートコーチ、振付師です。選手としてもともとはシングルの選手でしたが、アイスダンスに転向し1994年の世界選手権にアゼルバイジャン代表として出場しました。1998年の長野五輪ではベラルーシ代表として出場し16位となりました。同年に現役を退いています。引退後にまず振付師として注目を浴びました。2000年-2001年シーズンにアレクセイ・ヤグディンの振付を担当、2001-2002年シーズンには優勝へと導きました。
また高橋大輔を2007年世界選手権2位に導いています。アイスダンス出身のため、ステップに力を入れており選手に対して実際に演技して見せます。演技の作品は、選手をよく見て作られています。
あの羽生結弦のコーチ「ブライアン・オーサー」
ブライアン・オーサーはカナダ出身のコーチ、振付師です。フィギュアスケートの選手でノービスクラス、ジュニアで活躍後、1984年のサラエボ五輪では五輪史上初となるトリプルアクセルを成功させ銀メダルに輝いています。1988年カルガリー五輪でもアメリカのブライアン・ボルタノと「ブライアン対決」に敗れはしたものの銀メダルを取り現役を退いています。
引退後はプロスケーターとなり、後に振付師、コーチとなります。振付師としては本田武史、李成江、エルビス・スイトコを指導、コーチとしてはキム・ヨナの指導した事が知られていますが、なんといっても羽生結弦のコーチであることが有名でしょう。4回転サルコウを学びたかった羽生に対し、まず基礎を徹底的に叩き込み地力を付けさせました。
フィギュア大国ロシアの名功労コーチ「アレクセイ・ミーシン」
アレクセイ・ミーシンはロシアのフィギュアスケートのコーチです。選手としては15歳から本格的にフィギュアスケートを始めシングルの選手でしたが、後にタマラ・モスクビナとペアを組むようになりました。1969年のソ連選手権では、金メダルを取り世界選手権でも銀メダルを取り現役を退いています。レニングラード工科大学から大学院へ進み準博士号を取得した学歴もあります。コーチとしてはアレクセイ・ウルマノフを指導し、1994年のリレハンメル五輪でソビエト、ロシア初の金メダル選手を輩出しました。
その後もアレクセイ・ヤグディン等の名選手を指導しましたが、なんといってもエフゲニー・プルシェンコのコーチとして有名です。ステファン・ランビエールからの正式のコーチの依頼を断り、プルシェンコの指導に専念した話も有名です。
まとめ
羽生結弦、エフゲニー・プルシェンコ、高橋大輔などの男子フィギュアスケート界の有名選手には名コーチがついています。名コーチの選手時代の経歴も輝かしく、それぞれの経験、個性を生かして指導されています。常にフィギュアスケートの採点を聞く時に選手のそばにいるコーチ。選手との関わりエピソードを知るとより面白くフィギュアスケートを楽しく見れると思います。
以上「男子フィギュアスケート界の名コーチ3人~名選手に名コーチあり!~」でした。