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平昌五輪で飛躍へ!次世代エース宇野昌磨

2018 2/6 09:59SPAIA編集部
フィギュアスケート
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©ゲッティイメージズ

フィギュアスケートとの出会い

1997年愛知県名古屋市で、宇野家の長男として生まれた。家族構成は父、母、弟の四人家族だ。弟の樹(いつき)くんは、アイスホッケーの県選抜に選ばれるほどの実力の持ち主で、兄弟仲もとても良いという。

フィギュアスケートとの出会いは5歳の時。近所の名古屋スポーツセンターに遊びに行き、その時に練習に来ていた浅田真央選手に、「スケートやりなよ!」と誘われたことがきっかけでスケートをはじめた。その時期に、ソチ五輪代表として知られる村上佳菜子さんとも知り合い、村上さんは宇野のことを「努力の天才」と呼んでいる。ジュニア時代から名古屋のフィギュアコーチの母と称される山田満知子コーチの指導を受け、コーチだけでなく母からの厳しい指導に悔し涙を流し、スケート以外にはほとんど興味を示さないひたむきに練習するタイプだった。

宇野昌磨のジュニア時代

2011-12年シーズンよりジュニアグランプリシリーズに参戦。2012年の世界ジュニア選手権代表となったほか、JGPドイツ大会、全日本ジュニア選手権では2位となった。

2013-14年シーズンのガルデナスプリングトロフィーでは優勝。これがシニアクラスの国際大会での初の表彰台となった。そして2014-15年シーズンには、4回転トウループを成功させ、アジアンオープントロフィー、JGPクロアチア杯で優勝を果たした。さらにJGPファイナルでは、ジュニアとして初の160点台、総合でもジュニア世界歴代最高得点を更新し、2009年の羽生結弦以来の日本男子として3人目となる優勝を果たし、その後の世界ジュニア選手権でも優勝を果たしている。

シニアになってからの宇野昌磨

2015-16年シーズンからはシニアクラスへ参戦した。スケートアメリカでは2位、グランプリシリーズのトロフィーエリックボンパールでは、パリ同時多発テロ事件による大会中止でSPの順位が最終結果となったが、優勝を飾った。

初出場のグランプリファイナルでは、フリーで自身初の190点台を記録し、銅メダルを獲得。男子シングルの選手が、シニアのグランプリシリーズデビューの年にファイナルでメダルを獲得するというのは初めての快挙だった。

また、全日本選手権ではショート2位、フリー3位の総合2位となり連続で四大陸選手権に選出。世界選手権の代表にも初選出されているが、四大陸選手権も初出場となった世界選手権でも転倒するなどのミスがあり表彰台を逃がす結果となっている。

全日本選手権連覇、平昌五輪へ

2016-2017年シーズン、インフルエンザで羽生不在となった全日本フィギュアスケート選手権だが、この大会で宇野は総合優勝を果たした。ショートプログラムではジャンプの転倒など要所でミスを重ね2位となったが、フリープログラムで挽回し、優勝をもぎとった。本人としては、メンタルの弱さを痛感するという納得のいかない内容ではあったが、タイトル獲得という嬉しい結果となった。

そして、驚きの結果を残したと言えるのが2017年世界選手権。羽生が世界最高の滑りを見せて優勝し、宇野は2位という結果に終わったが、羽生の総合得点321.59に対し、宇野は総合319.31という自己最高得点をマーク。羽生の完璧ともいえる演技を目の当たりにしてからというプレッシャーのかかる場面での演技だったが、「どんなことをしても勝てない、だからこそ自分の演技をする」という決意で挑んだ結果の力強くも美しい演技に、それを見た日本人の誰もが次世代エースの飛躍を確信したことだろう。

2017-2018年シーズン開幕前の2017年6月、トヨタ自動車に入社。その後ロンバルディアトロフィーに出場し、実戦では初となる4回転サルコウを成功させて大会2連覇を達成。そして、前年の苦い思い出を払拭するという気持ちで挑んだ2017年の全日本選手権。この大会も羽生は欠場だったが、大会2連覇という素晴らしい成績を残し、平昌五輪への切符を手にした。

その後の四大陸選手権では、惜しくも2位という結果に終わるも、演技後半の連続ジャンプを成功させるなど、平昌五輪につながる内容だったと言えるだろう。 次はいよいよ、初出場となる五輪という大舞台。先輩羽生の背中は、五輪という舞台でより大きく見えるに違いないが、最大限の素晴らしい演技を見せてくれることを期待したい。 日本のフィギュア界を背負う存在となった宇野昌磨。世界の大舞台で今後どのような演技で我々を魅了してくれるのか、彼への期待はまだまだ止まらない。

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