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浅田真央の輝かしい功績をたどる

2016 9/9 08:08
フィギュアスケート
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Photo by Iurii Osadchi/Shutterstock.com

浅田真央さんの魅力をもっと知りたいファンも多いだろう。今までの軌跡とともにその功績を振り返って紹介してみたいと思う。

ジュニア時代から輝いていた浅田真央

浅田選手はフィギュアスケートを5歳からスタートした。バレエは3歳から始めていたということもあって下地も十分。これにはバレエダンサーを夢見ていたお母さんの意向があったようだ。
姉の浅田舞選手、お母さんと家族一丸となってフィギュアスケート人生をスタートした。注目を集めるきっかけとなったのは2002年、15歳の時の全日本選手権だ。3連続3回転ジャンプをきめた「天才少女」の登場に観客は沸き立った。

浅田真央の武器3Aはジュニア時代から

その後グランプリファイナル2005年グランプリファイナルでは3A(トリプルアクセル)を成功させ初出場初優勝。これは日本代表としては村主章枝選手以来2人目という優勝だった。
2006年トリノオリンピックへの出場が期待されたが、「五輪前年の6月30日までに15歳」の年齢制限にわずかに届かず出場は叶わなかった。ファンの誰もが4年後の2010年バンクーバーオリンピックの舞台で輝く浅田選手を想像していたことだろう。

世界の舞台で戦う浅田真央

2006年からは活動拠点を海外へ移し、同年2006年のNHK杯では総合得点199.52点というISU歴代最高得点を記録して優勝。
2007年世界選手権でもフリーでまたしても当時のISU歴代最高得点を更新して銀メダル獲得と、世界を舞台に着実に実績を積んでいく。翌年には日本に戻るがコーチとの師弟関係の解消という事態に見舞われる。
コーチ不在で臨んだ2008年世界選手権では大きく転倒したもの見事に立て直して逆転優勝した。

浅田真央、舞台はオリンピックへ

2008-2009シーズンは苦手なルッツを取り入れたり、これまでの少女らしくかわいい雰囲気とは少し違ったプログラムにも挑戦するなど選手としての変化に果敢に挑戦していく浅田真央選手。そして迎えたバンクーバーオリンピックでは、ショート、フリー合わせて計3回3Aを成功させるという前代未聞の功績を残すも銀メダルに終わった。
オリンピックの後も大会では好成績を残すも、2011年には最愛の母を亡くし、さらには腰痛が悪化するなど不調が続いた。

現役引退も示唆した上で五輪に臨んだ浅田真央

一時は世界の舞台からは遠のいていた浅田選手だが2013年四大陸選手権のショートプログラムでは久しぶりに3Aを成功させ優勝。復活の兆しを見せていたが、ソチ五輪後には引退の可能性を示唆した発言をしファンの中では動揺が広がった。迎えた2014年ソチオリンピックではショートではミス連発でなんと16位からのスタート。
しかしその後のフリーではFすべてのジャンプを成功、総合6位まで追い上げた。魂のこもった滑りと、演技後涙を流す浅田選手の姿に世界が感動し賞賛を贈った。五輪後は休養し、2015年に競技に復帰した。

まとめ

休養を経て現役復帰への発表にほっとされたファンの方も多いのではないのだろうか。これからも浅田選手の活躍を見守りたい。