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魅惑のスケーター 本郷理華が残した大会実績

2018 3/17 11:36Mimu
フィギュア,本郷理華
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Ⓒゲッティイメージズ

9歳から親元を離れてスケートに打ち込む

本郷理華、1996年9月6日生まれの21歳、中京大学スポーツ科学部に在学中の選手である 。2018年2月現在、世界ランキングは16位。これは日本人選手の中では4番目の順位だ。

イギリス人の父親を持つハーフで、ほかの選手にはない雰囲気をもっている。身長も 166cmと高く、長い手足を使ったセクシーかつダイナミックな演技は、彼女の最大の魅力 だ。このスケートで、今までも多数の大会で実績を残してきた。

フィギュアスケートは5歳の時から始めた。もともとは宮城県の仙台市生まれ。同郷でト リノオリンピック金メダリストであった荒川静香にあこがれ、その荒川を指導した実績の ある長久保裕コーチの指導を受けていた。

しかし、2004年に通っていたスケートリンクが経営難によって閉鎖されることが決定 。2006年、長久保コーチは名古屋へ移り住むことになったのだが、それに伴い、この時わ ずか9歳だった本郷も親元を離れ、名古屋で指導を受け続けることを決意した。

ノービスクラス時代から競技会に出場

そんな本郷は、小学生時代から、競技会へ出場していた。当時はジュニアより下のノービ スクラスでの出場。このノービスクラスはAとBに分かれており、フィギュアシーズンの開 幕日である6月30日時点での年齢が11歳以上12歳以下ならばノービスA、9歳以上10歳以下 ならばノービスBとなる。本郷は小学4年生、ノービスBの時から実績を残していた。

2006-2007年シーズン、中部選手権ノービスBで5位にはいる。そして小学5年生となった 2007-2008年シーズンには、中部選手権ノービスBで2位と躍進。全日本ノービス選手権 にも出場し10位という成績を収めた。

小学6年生となった2008-2009年シーズン、この年からノービスAクラスに移行する。こ の年の中部選手権ノービスAでは5位、そして全日本ノービス選手権では18位。悪くはない 成績であるが、少し壁にぶつかってしまったような印象だ。さらに、中学1年生となった 2009-2010年シーズンの中部選手権ノービスAでも9位に終わり、この年は全日本進出を 逃している。

ジュニア1年目は順調も2年目で厳しさを叩き込まれる

中学2年生となった2010-2011年シーズン、この年からはジュニアクラスの大会に出場。 中部ブロック大会で5位、そして西日本ジュニア選手権では13位に入り、初めて全日本ジュ ニア選手権に出場。そこで19位という成績を収め、ジュニア1年目としては上々の成績を 収めた。

だが翌2011-2012年シーズンも中部ブロック大会に出場し、見事に優勝。しかし、西日本 大会ではショートプログラムで36.20しか取れず、32人中の32位に終わってしまい、フリ ーに進むことすらできずに敗退。前年とは対照的に、ジュニアの厳しさを叩き込まれた1 年となった。

高校に上がると大ブレイク!

しかし、高校1年生となった2012-2013年シーズン、この年から頭角を現し始める。ジュ ニアグランプリシリーズへ参戦すると、フランス大会では2位という好成績。クロアチア 大会でも5位。ファイナルに進むことはできなかったが、この2試合で大きな自信をつける 。

さらに前年は悔しい思いをした西日本ジュニア選手権で5位に入ると、全日本ジュニア選 手権にも進出。そして初の表彰台となる3位に入り、過去2年から大きな飛躍を遂げた。そ してこの結果により、推薦選手として全日本選手権にも出場が決定。

浅田真央や村上佳菜子、鈴木明子といったそうそうたるメンバーの中、1日目のショート で6位という好調な滑り出しを見せると、2日目のフリーでは最終滑走というプレッシャー のかかる中、堂々たる演技を見せて4位、総合で5位に入る大健闘を見せた。

さらに宮原知子とともに世界ジュニア選手権の代表選手にも選出され、そこでも9位とい う成績を収めた。一気に世界にまで名を広めた1年となった。

世界大会でも大きく羽ばたいたシニア1年目

そして高校3年生となった2014-2015年シーズン、18歳になったこともあり、この年から シニアへ転向。アジアオープントロフィーで優勝、チャレンジャーズシリーズ・フィンラン ディアトロフィー3位と、幸先の良いスタートを切る。

グランプリシリーズにも参戦し、スケートカナダでは5位だったものの、ロステレコムカ ップでは優勝。わずかにファイナル進出条件を満たしていなかったものの、アメリカの選 手が疲労骨折で出場を辞退したため、繰り上げでファイナル進出が決まった。結果は6人 中6位だったが、貴重な経験を積む。

そしてシニアになって初の全日本選手権では、自己ベストとなる188.63をマーク。宮原の 出した195.60には届かなかったものの、2位と自己最高の成績を残し、四大陸選手権およ び世界選手権への出場権を獲得した。そして四大陸選手権では3位、世界選手権6位。シニ ア1年目のシーズンを、良い形で締めくくることができた。

表現力がさらに磨かれたシニア2年目

高校卒業後は、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科へと進学。1年生だった 2015-2016年シーズン、この年もチャレンジャーズシリーズに参加し、フィンランディア 杯では優勝。さらにグランプリシリーズ中国杯では自己ベストを更新する195.76をマーク し、浅田真央に次ぐ2位に入る。ロステレコム杯で5位だったため、2年連続のファイナル進 出とはならなかったが、しっかりと好調を維持していた。

そして全日本選手権、ここでも本郷らしい滑りを見せて193.28と自己ベストにせまる点数 をたたき出す。この年は、ショートで鈴木明子が振付を担当したシルク・ドゥ・ソレイユ の『キダム』、フリーでは宮本賢二振付の「リバーダンス」を使用。情熱的なキダムは激し い動きで荒々しく、幻想的なリバーダンスは魅惑的な動きで妖艶に、どちらの曲も本郷に 上手くはまり、会場の観客を虜にしていた。

総合順位は4位と表彰台を逃してしまうものの、年齢規定を満たしていない樋口新葉に代 わり、四大陸選手権および世界選手権に繰り上げ出場。四大陸では2年連続の3位、世界選 手権では8位とやや順位を落としてしまうが、199.15点と自己ベストをさらに更新し、こ の年も良い形でシーズンを締めくくった。

ケガに苦しんだシニア3年目

だが大学2年生となった2016-2017年シーズン、この夏ごろ、左足の骨挫傷が判明。なん とか秋までに復帰することはできたが、やはり練習量を確保できなかったのが痛かった。 グランプリシリーズに参戦するも、カナダ大会6位、中国大会5位。ここ数年から考えると 良い結果とはいえず、ファイナル進出も逃してしまった。

さらにその後の全日本選手権では5位。この大会はショートで2位に入るも、フリーでは序 盤にジャンプミスがあり6位となってしまう。大会直前にはフリーの曲を「アラビアのロレ ンス」から、前年に使用した「リバーダンス」に戻しており、それだけ強い気持ちで挑ん でいたのだが……。本人にとって悔しい1日になってしまったことだろう。

それでも、疲労骨折の宮原に代わって四大陸選手権、世界選手権には3年連続の出場。だ がやはり調整不足は否めず、それぞれ10位、16位。特に全日本では70点近い点数があった ショートですらも、60点前後と低迷してしまい、結局最後まで自分の演技が全く披露でき ずにシーズンが終わってしまった。

幼いころから慕ってきたコーチとの別れ

復活をかけた2017-2018年シーズン、この年はオリンピックもあり、絶対に結果を出した い年であった。しかし、9月には幼いころから慕ってきた長久保コーチが退任。シーズン序 盤から厳しい状況となってしまう。

なんとか初戦のチャレンジャーズシリーズ・オンドレイネペラメモリアルでは2位に入るも のの、グランプリシリーズではその影響が出たのか、スケートカナダで6位、NHK杯も6位 とあまり奮わない成績になってしまった。

それでも、吹っ切れたのか、オリンピックの代表選考会を兼ねた全日本選手権では、気持 ちのこもった滑りを見せていた。まるで長久保コーチに何かメッセージを送るような、そ んな滑りであった。点数もショート70.48、フリー127.14点、総合197.62と自己ベストに近 い高得点。結果は6位だったものの、本郷の決意が見えた大会であった。

ここ数年、本郷よりもさらに年下の選手たちも台頭してきた。代表になった宮原知子・坂 本花織の2人をはじめとして、樋口新葉や三原舞衣、紀平梨花、本田真凜など。フィギュア 界にとっては喜ばしいことだが、本郷にとっては胸中複雑だろう。

しかし、彼女だってまだ21歳だ。同じ長久保コーチに指導を受けてきた姉弟子であり、本 郷の振付を担当した鈴木明子も、20代を過ぎてから一気に飛躍し、オリンピック出場をは たした。彼女のスケートは、これからが見ものなのである。