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女子フィギュアスケート選手の名言集

2016 11/1 10:56
figure skating
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Photo by Marcella Miriello / Shutterstock.com

女子フィギュアスケートファンの方へ、今回は選手の名言にスポットをあてたいと思います。これまでの活躍した選手を主にピックアップし名言を紹介します。

キム・ヨナ選手の名言

キム・ヨナ選手は韓国代表の元フィギュアスケート選手で、2010年にはバンクーバーオリンピックでの金メダリスト。2014年ではソチオリンピックでの銀メダリストと世界最高峰の選手です。そのキム・ヨナと永遠のライバルとも呼ばれた日本の浅田真央選手とは常に1位を争っていた仲でもありました。そんなキム・ヨナ選手は

「浅田真央とは長い間比較され、競争もしたが、もう競争もなくなる。私たちのように比較され続け、競技した選手は他にいないはず」

出典: livedoornews

という言葉を残しています。これは長年浅田真央選手と女子フィギュア界ではトップの選手だった事から長年比較されていた時の言葉であり、どちらもお互いを意識し、良きライバル関係だった事から生まれた言葉ではないかと思います。
国境を越えてこのような選手がいるという事は、やはり負けたくないという気持ちも強くなり、それが良い演技へとつながるいい傾向だったのではないでしょうか。

浅田真央選手の名言

日本代表として滑り続けてきた浅田真央選手のみんなの一番心に残っている場面はソチオリンピックでのシーンではないでしょうか。
これまでタラソワコーチと共にソチオリンピックまでの4年間必死に練習を重ねてきた浅田真央選手は、ショートプログラムで失敗が続いてしまいまさかの16位という結果に、それでも浅田真央はくじけませんでした。4年間の辛い練習を、タラソワコーチの熱い思いを一新に受け翌日の演技に全てをかけていました。その思いが演技に反映され総合6位まで挽回するという快挙を成し遂げました。この時自身での自己ベストを更新する得点を記録しました。その時に浅田真央選手は

「昨晩、たくさんの方から笑顔が見たいというメールをもらった。だからお辞儀の時には笑顔になろうと思っていました」

出典: Numberweb

という言葉を残しています。浅田真央選手の演技に観客はスタンティングオペーションでリンクが割れんばかりの拍手を受けました。結果ではなく自分の全てを出し切り、最後まで諦めないという事を人々の心に焼き付けたのではないでしょうか。

遅咲きの鈴木明子選手ならではの名言

アッコという愛称で親しまれていた鈴木明子選手は、2010年のバンクーバーオリンピック、2014年のソチオリンピックに出場し、連続で8位入賞を飾りました。2011年GPファイナルと2012年の世界選手権では銅メダルを獲得、2013年の全日本選手権では優勝という記録を残しています。
女子フィギュアスケート選手の中では稀に見る非常に遅咲きな選手として知られており、24歳にしてオリンピック初出場、それから二度目の出場が28歳という年齢でした。その間には摂食障害の病気を患っており、それを乗り越えながらのオリンピック出場という事もあり、非常に苦労人としても知られています。その鈴木明子選手が

「この年齢で続けられると思わなかった。今だめだから諦めるのではなく、遅咲きだったとしてもがんばれるということが、少しでも他の人や未来のスケーターたちに伝わって、何歳からでもやろうと思ったときにできる気持ちになればいいなと思います」

出典: Yahoo!ニュース


という言葉を残しています。
これは遅咲きでも結果を残してきた鈴木明子選手だからこそ言えた名言ではないかと思います。

まとめ

これまでに活躍してきた女子フィギュアスケート選手の心に残る名言を紹介しました。世界のトップとして活躍している選手にはやはりそれまでの苦労や人の助けがあってこそ今の自分がいるという事を世に発信してくれているのだなと感じますね。