「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

スイスのフィギュア ステファン・ランビエールの功績について

2016 10/19 19:05
ステファン・ランビエール
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Diego Barbieri / Shutterstock.com

ステファン・ランビエールさんの功績を知りたいと思ったことはないだろうか? 生い立ちから引退まで道のりを紹介する。

ステファン・ランビエールの生い立ちと人となり

1985年にスイスのマルティニに生まれ、サクソンで幼少期を過ごした。村のみんなが顔見知りなほどの小さな村だ。父、母、姉、弟の5人家族だ。
ステファン・ランビエールは、英語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語と複数の言語を流ちょうに話し、さらにイタリア語と日本語を学んでいる。2004年には、聖モーリスカレッジで、生物学と化学の大学入学資格と高等教育修了証であるマチュリテを得ている努力家だ。
また、コロンビアに住む貧しい子供達のために、家と学校を建てるいうNGO活動「Moi pour Toit」にも尽力している。

ジュニア時代のステファン・ランビエール

7歳の時、3歳年上の先にスケートをしていた姉と一緒にリンクへ行って、フィギュアスケートの芸術性に魅せられてはじめた。その後、コーチのピーター・グルッターと振付師のサロメ・ブルナーに出会い、11歳でスイスノービスチャンピオンとなる。
1997年のローザンヌで開催された世界選手権のエキシビションに出演した。1997-1998シーズンからはジュニアクラスでになり、スイス選手権のジュニアクラスで2連覇をした。2種類の3回転と3回転コンビネーションジャンプやスピンに力をいれることで、2001年には世界ジュニア選手権では5位に入賞した。

シニアになってからのステファン・ランビエール

2000-2001年のシーズンからシニアクラスに参戦して、スイス選手権で初優勝をしてから、2008年の大会まで8連覇を果たすという成績を残している。
翌年の世界選手権では、予選からフリーまでの演技で、大会を通じて5度の4回転ジャンプを成功させて、スイスの男子シングルの選手として、58年ぶりに世界チャンピオンに輝いた。2005-2006年のシーズンでは、グランプリファイナル初優勝、欧州選手権2位とめざましい活躍を見せた。2006年の世界選手権では、スイス選手では初めてとなる2連覇を達成した。

ステファン・ランビエールの引退後について

2008年引退を表明したが、その後、2010年に行われるバンクーバーオリンピックへの出場を目指して競技会に復帰することを表明した。オリンピックの出場権獲得のために、ネーベルホルン杯では、優勝、スイス選手権も制し、欧州選手権では2位となり、バンクーバーオリンピックに出場したが、結果は4位で、二大会オリンピックメダル獲得とはならなかった。
2010年3月に、再び引退を表明をして、エキシビジョンやアイスショーで華麗なスケーティングで魅了された。同時に、振り付け師としての活動を開始して、高橋大輔のエキシビション「アメリ」の振り付けを担当した。

まとめ

ステファン・ランビエールは、スイスの小さな村の出身で、カウベルを持った応援団がいつも応援にきてくれるような、人々に愛されたスケーターだ。自分も貧しい子供たちのためにNGO活動を行うなど、他人にも愛をそそいでいるステファン・ランビエールが振付けた作品は、これからも人々を魅了し続けるだろう。