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宮原知子の功績とこれからについて

2016 10/4 00:52
フィギュア
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Photo by GoodMood Photo / Shutterstock.com

新時代のスケーターを知りたいあなたに、宮原知子を紹介する。

宮原知子の生い立ちと性格について

宮原知子は、京都市在住で、両親とも医者という家庭で育った。両親の仕事の関係で、幼少期から小学2年生まで、アメリカのヒューストンで暮らしていた。スケートをはじめたきっかけは、4歳の時に両親の「やってみる?」の一言だそうだ。5歳からはスケート教室に、通い始め、京都に戻ってからは、濱田美栄コーチに指導を受けている。
立命館小学校から、関西大学中等部、高等部と進学し、関西大学文学部に在学している。海外生活のおかげで英語が得意で海外遠征のときも通訳なしで対応できる。寡黙で真面目で、少し引っ込み思案な性格だが、学校が終わるとすぐにリンクに行き、黙々と練習する努力家タイプだそうだ。

宮原知子の強みについて

宮原知子選手は、トリプルアクセル以外の5種類ある3回転ジャンプを飛ぶことができる。また、左右両回転のジャンプとスピンができて、左右両回転のコンビネーションスピンは宮原知子の代名詞となっている。ルッツジャンプでは、アウトエッジでの踏切の正確さは、カナダのオリンピック代表だったジョゼ・シュイナールの指導の成果だ。
長野オリンピック金メダリストのイリヤ・クーリックにジャンプの高さ改善を、トリノオリンピック銀メダリストのステファン・ランピエールに表現面の指導を受けていて細部にわたって磨きをかけている。ジャンプ、スピン、ステップなど全てにおいて「ミス・パーフェクト」と呼ばれるほど非常に安定している。

ジュニア時代の宮原知子

2011年11月の全日本フィギュアジュニア選手権大会には、ジュニアの選手として初参戦し、13歳8ヶ月という若さで優勝をした。2012年のISUジュニアグランプリのレークプラシッド大会では、ジュニアグランプリシリーズでの初優勝をした。また、全日本ジュニア選手権では2連覇を果たし、自己の持つ大会記録を更に更新したり、確実に結果を出してきた。
全日本選手権において、ショートもフリーも少しのミスはあったが、その後は安定した滑りで総合でも3位と全日本選手権での初めての表彰台となった。ミスをしても次に挽回をすると言うメンタルの強さも感じられる。

シニアになってからの宮原知子

2013-2014シーズンのグランプリシリーズがシニア初参戦となった。2014年の四大陸フィギュアスケート選手権では、自己最高得点をマークし、2位となり初の表彰台となった。2014年には、CSロンバルディア杯で優勝をし、全日本フィギュアスケート選手権では逆転で初優勝を果たした。
2015年の四大陸フィギュアスケート選手権、世界フィギュアスケート選手権は2位となった。2015年のCSUSクラシック、NHK杯では優勝をし、GPファイナル総合2位、全日本選手権では、浅田真央などを抑え二連覇をした。また、彼女にとって3度目の出場の四大陸選手権では、自己ベストを更新して、主要な国際大会での初優勝となった。

宮原知子のこれから

宮原知子は、シニアに変更したあたりから、めきめきと頭角を現し始めた。慎重148センチ、体重30キロというきゃしゃなスタイルの、細くしなやかな感じから、かつての浅田真央を彷彿とさせ、「浅田真央二世」とも呼ばれている。
その細さと軽やかさからから、スピード感のある演技を持ち味にしているが、その反面、パワー不足な部分があり、ジャンプ力に難がある。しかし、何事にも勤勉で努力家な彼女のことなので克服をして、これからの演技に生かしていくと思う。

まとめ

まじめな宮原知子は、この先にエースになれる選手だと思う。そのためには努力を忘れない彼女のこれからを見守っていきたい。