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本田武史の功績~日本男子フィギュアスケート界を牽引してきた男~

2016 10/4 00:52
フィギュア
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Photo by Sergey Lavrentev / Shutterstock.com

長い間、日本男子のフィギュアスケート界を引っ張ってきてくれた本田武史選手。
もう一度思い出したい彼の功績を振り返って紹介する。

様々な功績を残した本田武史の生い立ち

1981年に福島県の郡山市に生まれた。上にお兄さんがいる。東北高等学校に進学し、法政大学の法学部通信教育課程に進むが中退している。2005年?2006年のシーズン限りで引退を表明し、2005年の日本選手権5位を最後に引退、そしてプロに転向した。長野オリンピックのあとカナダのトロントに拠点を移していたが、現役引退後は元フィギュアスケート選手・長光歌子に誘われ2006年に帰国している。
2007年には友人の食事会で知り合った1歳上の女性と結婚し、翌年の春に長女が誕生した。現在は、フィギュアスケートの解説者や指導者として活躍されている。人生の伴侶を得て、これからもますます活躍される本田武史さんが楽しみだ。

ジュニア時代の本田武史

本田武史がスケートを始めたのは、スピードスケートをしていた兄の影響だ。7歳からショートトラックをはじめ、1989年にはフィギュアスケートに転向した。フィギュアスケートを始めてから、3回転ジャンプを3年で習得し、本格的に練習するために母親と二人で仙台に移りリンクから近い中学校に入学する。
1993年?1994年のシーズンには、初めての国際大会であるトリノグラフトロフィーノービスクラスで優勝を飾った。このとき中学1年生だった。翌シーズンには全日本ジュニア選手権でトリプルアクセルに成功し、またその翌シーズンにはネーベルホルン杯の公式練習で4回転ジャンプを成功させた。

フィギュアスケート全日本選手権、史上最年少で本田武史が優勝!

シニアとしての初の大会NHK杯では、4位だった。第64回全日本選手権で、男子シングルの選手としては史上最年少での優勝を果たした。そしてその後、わずか14歳で1996年の世界選手権に初めて出場し、13位と日本のエースとして頑張りを見せてくれた。
第65回全日本選手権で、2連覇を達成し世界選手権では10位と健闘した。長野オリンピックの日本代表枠も2を獲得し、自身も日本代表に内定した。1998年、長野オリンピックでは、ショートプログラムでのトリプルアクセルからのコンビネーションで失敗してしまい出遅れてしまった。フリースケーティングで挽回したが、15位に終わってしまった。

ソルトレイクシティーオリンピックでの入賞と世界選手権銅メダルの功績

2001年の世界選手権で5位入賞を果たし、ソルトレイクシティーの日本代表枠を2獲得した。2001年?2002年のシーズンには日本男子フィギュアスケート選手初となるグランプリファイナルへ進出し、5位となりオリンピックの代表に内定した。ソルトレイクシティオリンピックの男子シングルスのショートプログラムでは「ドンキホーテ」を演技し2位、フリースケーティングではステップアウトするミスがあり4位となり、結局総合4位でメダルは逃してしまった。
オリンピックから約1か月後に長野県で行われた2002年世界選手権ではショートプログラム、フリースケーティングともに3位で銅メダルを獲得した。1977年の世界選手権での佐野稔選手以来の2人目の銅メダルだった。

引退、そしてプロへの転向 コーチとしての本田武史

2005年に、今シーズン限りで引退するとを表明し、第74回全日本選手権が現役としての最後の大会になった。2006年のトリノオリンピックが終了した後に開催されたアイスショーのリンク上でプロへの転向を自ら発表した。現在は、アイスショーなどでプロスケーターとして活躍しながら、解説者としても活動している。
浅田舞選手のコーチやジャンプ技術コーチとして高橋大輔選手の指導も行っていたこともあり、フィギュアスケートのコーチとしても、育成に力を注いでいる。

まとめ

本田武史さんの活躍があって今の男子フィギュアスケートがあると言っても過言ではない。今後も彼の活躍が楽しみだ。