平成最高のヒール・亀田一家
21世紀になり、ボクシング界の話題をさらったのが亀田3兄弟だった。
と言っても、実力以上に父・史郎氏や3兄弟の過激な言動によるところが大きく、応援するファンと眉をひそめるアンチが対立することもあった。長男・興毅は先に世界ライトフライ級王座を獲得したが、ダウンを奪われながらの判定勝利が疑惑を呼び、実力を疑問視する声があったことは事実だ。それでもマスコミ受けする言動で引っ張りだこの人気者となった。
興毅に続いて平成18年(2006年)2月にプロデビューしたのが次男・大毅だった。強烈な左フックを武器にデビューから10連勝(7KO)をマーク。試合後にはリング上でマイクを握り、歌を熱唱するパフォーマンスで女子中高生ファンの心をつかんだ。
ただ、相手はタイやインドネシアの、いわゆるかませ犬が多く、相変わらずのビッグマウスもあって世間的な評価は決して高くなかった。それでも、デビューからわずか1年半後の平成19年10月、早くも世界初挑戦のチャンスが巡ってきた。
当時、WBC世界フライ級王者だったのが内藤大助。平成14年の世界初挑戦では、日本ワースト記録の1ラウンド34秒でKO負けし、「最短男」の屈辱的なニックネームが付いたが、平成19年7月、3度目の世界挑戦で念願の王座に就いた。初防衛戦の相手に決まったのが亀田大毅だった。
プロレスまがいの反則行為で判定負け
まだ18歳だった大毅は試合前の記者会見で内藤を「ゴキブリ」呼ばわりし、「負けたら切腹する」と自信満々に言い放った。一方の内藤は「国民の期待に応えたい」と大毅は世間を敵に回していると言わんばかりだった。
ゴングが鳴ると、大毅は得意の左フックを強振するが、キャリアで勝る内藤には当たらない。試合全般を通してポイントを取られ、判定での敗色が濃厚となった大毅は最終12ラウンドにとんでもない暴挙に出た。
フラストレーションのたまった大毅は、内藤を抱え上げて投げ捨てるというプロレスまがいの行為。当然ながらレフリーに減点され、結局、大差の3-0の判定で内藤が初防衛に成功した。
しかも、ラウンド間のインターバルで、セコンドの史郎氏が「急所打ってもええから」、興毅が「肘でええから目に入れろ」と反則攻撃を指示した音声がテレビ番組などで放送され、大問題に発展。JBCは史郎氏に「セコンドライセンスの無期限停止」、大毅に「ボクサーライセンス1年間停止」、興毅に「厳重戒告」の処分を下した。
後日行われた会見に丸刈りで現れたものの、憔悴しきった様子で、わずか2分で退席した大毅の姿をご記憶の方も多いだろう。それまでもてはやされていた10代の少年は、一転してバッシングの嵐にさらされた。
内藤は亀田斬りで一躍人気者に
大毅を下して名を挙げた内藤はその後、防衛回数を5度にまで伸ばした。6度目の防衛戦で長男・興毅に敗れて引退し、現在はタレントとして活躍している。
一方の大毅は平成22年2月に念願の世界フライ級王座獲得。25年9月にはIBF世界スーパーフライ級王座も制して2階級制覇に成功した。ちなみに長男・興毅は3階級制覇、三男・和毅も2階級制覇を達成している。
世界初の3兄弟世界王者の記録とともに、記憶にも残った亀田3兄弟が平成をいろいろな意味で盛り上げた。