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平成6年 薬師寺保栄と辰吉丈一郎が日本人同士の王座統一戦 【平成スポーツハイライト】

2018 12/18 15:00SPAIA編集部
ボクシング,ⒸShutterstock
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平成最初のスターボクサー・辰吉丈一郎

ボクシング界における平成最初のスターが辰吉丈一郎であることに異論はないだろう。岡山の不良少年が大阪に出てプロボクサーになり、強敵をなぎ倒す。人気漫画「あしたのジョー」を地で行く辰吉は、デビュー当時から「浪速のジョー」と呼ばれて注目を集め、わずかプロ8戦目(当時日本最速)でWBC世界バンタム級王座に就いた。

しかし、波乱万丈の辰吉のボクサー人生はそこからが本番だった。初防衛戦でラバナレス(メキシコ)にTKO負けして無冠となった辰吉は、そのラバナレスを破った辺丁一(韓国)に挑戦することが決まっていた。

だが、辺がケガのため、暫定王座決定戦を宿敵・ラバナレスと戦うことになった。その一戦で見事に雪辱し、暫定王座を獲得したものの、網膜剥離を発症。長期ブランクを余儀なくされた。

辰吉が休んでいる間に復帰した辺を破り、世界バンタム級正規王座に就いたのが薬師寺保栄だった。薬師寺は2度の防衛に成功。網膜剥離が癒えた辰吉も暫定王座に復帰し、WBCは両者の対戦を命じたのだった。

試合前から激しい舌戦

史上初の日本人同士による世界王座統一戦は試合前からヒートアップした。

まず試合開催地。大阪帝拳所属の辰吉と、名古屋の松田ジム所属の薬師寺の間で激しい綱引きがあったが、入札の結果、名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)で行われることが決まった。ファイトマネーは両者とも破格の1億7000万円と伝えられた。

さらに辰吉は薬師寺を激しく“口撃”した。薬師寺から「辰吉君はベルトに【ざんてい】と書いて来い」と挑発されたことに応戦し、「主役とカン違いのチカラの差を見せつけたる」「あの年齢になって髪の毛染めるようなっちゃアカンよ。社会人デビューしたらダメ」などと繰り返し、「ヤックン」呼ばわりした。マスコミもこぞって取り上げ、「世紀の一戦」と謳われた試合はいやが上にも盛り上がった。

大方の予想を覆し、薬師寺が判定勝ち

迎えた平成6年(1994年)12月4日。戦前の予想は「辰吉圧倒的有利」だったが、結果は左ジャブで辰吉の顔を腫れ上がらせた薬師寺が2-0の判定で勝ち、王座を統一した。

辰吉は後に1ラウンドで左拳を骨折していたことを明かしたが、それでも果敢に打ち合い、白熱の攻防を繰り広げた。テレビの視聴率は関東で39.4%、大阪で43.8%、名古屋では52.2%と驚異的な数字をマークした。

その後、薬師寺は5度目の防衛戦で敗れて引退。辰吉は平成9年にシリモンコン(タイ)をKOして3度目の王座に就き、2度の防衛を果たした。