【井岡一翔の功績1】高校6冠を達成。無敵を誇ったアマチュア時代
井岡一翔とボクシングの出会いは中学1年生の頃。叔父で元世界王者である井岡弘樹が所属していたグリーンツダジムでボクシングを始める。興国高校に進学してボクシング部に所属すると、2年時・3年時に選抜大会・インターハイ・国体の3大会すべてで優勝。高校6冠という偉業を成し遂げる。
その後、東京農業大学に進学し、北京オリンピック出場を目標にボクサー人生を邁進するが、選考対象となる大会で敗れ、出場権を逃す。オリンピック出場が叶わないと知るや、大学を2年で中退してプロ転向を決意した。
【井岡一翔の功績2】プロデビューからわずか7戦で世界王者に
志半ばでアマチュアボクシングを去る形になったが、十分すぎる実績を引っ提げて20歳でプロデビューする。叔父の血を受け継ぐサラブレッドとして、彼の戦いぶりは世間からも大きな注目を集めた。期待に応えて連勝街道を突っ走り、デビューからわずか6戦目で日本ライトフライ級王座を奪取した。
その後、世界挑戦に備えて日本王座を返上した井岡は、2011年2月にWBC世界ミニマム級チャンピオン、オーレイドン・シスサマーチャイ(タイ)と対戦。臆することなく攻め続けて2ラウンドにダウンを奪うと、5ラウンドで試合を終わらせ、デビューから7戦目で世界の頂点に立った。
【井岡一翔の功績3】デビュー10戦目で王座統一戦に
7戦での世界王座獲得は、辰吉丈一郎と名城信男の8戦目を超える、当時の日本最短記録。平成生まれのプロボクサーとしても初の世界チャンピオンとなった。2月にタイトル獲得後も、8月、12月と短い間隔で防衛戦をクリアし、2011年を終える。
そして2012年、当時WBA同級王者だった八重樫東と王座統一戦が決定。6月20日、大阪・ボディメーカーコロシアムで拳を合わせる。序盤から八重樫が猛攻を仕掛けたが井岡はうまくかわし、中盤以降はダウンこそ奪えないものの効果的なパンチをたびたびヒット。両目を腫らした八重樫も終盤にラッシュをかけたが、判定は僅差での井岡の手が上がった。デビューから10戦目にして、日本人初の統一王者の称号を手に入れた。
【井岡一翔の功績4】階級を上げてWBAライトフライ級王座獲得
井岡は八重樫との統一戦後タイトルを返上し、ライトフライ級に転向。WBAから、ローマン・ゴンザレスのスーパー王座認定により空位になっていた同級王座決定戦を、元同級暫定王者のホセ・アルフレド・ロドリゲスと行うよう通達された。
迎えた2012年大晦日。1ラウンドと6ラウンドに3度のダウンを奪う圧勝でWBAライトフライ級の頂点に立ち、2階級制覇を達成した。WBAは井岡vsロドリゲス戦の勝者がローマン・ゴンザレスと対戦することも通達していたが、紆余曲折あって実現には至らず、2013年に3度目の防衛戦に勝利した井岡は、3階級制覇を狙ってライトフライ級王座を返上した。
【井岡一翔の功績5】フライ級王者となり3階級制覇達成
2014年から戦いの場をフライ級に移した井岡。5月にIBF同級王者アムナット・ルエンロン(タイ)と対戦したが、まさかの判定負け。プロ初黒星を喫し、15戦目での3階級制覇は幻となった。
再起した井岡はノンタイトル戦を2試合こなし、2015年4月にWBA世界フライ級王者、ファン・カルロス・レベコ(アルゼンチン)に挑戦。序盤は相手の手数に手を焼いて押される場面もあったが、徐々に左ジャブでリズムをつかむと一気に形勢逆転。KOこそできなかったが、2-0(114-114、116-113、115-113)で判定勝ちし、悲願の3階級制覇を達成した。
まとめ
初めて世界王座に輝いたその場で、4階級制覇を宣言した井岡一翔。2017年大晦日に一度は引退を表明したが、7カ月後に現役復帰を表明。2018年大晦日にマカオでドニー・ニエテスとWBOスーパーフライ級王座を争ったが判定負けした。
狙うは日本初の4階級制覇。希代のスピードスターはまだまだ戦い続ける。