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現代のタイガーマスクといわれる、元プロボクサーの坂本博之とは

2017 1/30 21:11
グローブ吊るす@Shutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

平成のKOキングこと、元プロボクサー坂本博之をご存じだろうか。 坂本博之は普段は優しい一面をのぞかせるも、いざ試合となれば勇猛果敢なインファイトで戦うボクサーだった。 現役時代、畑山隆則との一戦が伝説の試合とも呼ばれ、今では現代のタイガーマスクと言われる坂本博之を紹介していく。

凄惨な幼少時代を生き抜いた坂本

坂本博之は福岡県田川市出身で、小学校1年の時に両親が離婚し、親類に預けられるも、家では食事をろくに与えてもらえずに、学校給食1食のみだったという。給食が無い休日は、ザリガニやトカゲを獲って飢えをしのぐほど生活は極貧となり、不満をこぼすと顔が変形するほど殴られることがあったようだ。
凄惨な少年時代を過ごすが、後に預けられた児童養護施設のテレビでボクシングの試合を見てから、プロボクサーを目指すようになった。

プロデビューから順調に勝ち進むも、世界戦では2度敗北

坂本博之は、高校卒業後の1991年12月14日、プロデビュー戦で1ラウンドKO勝ちを収める。1992年には東日本ライト級新人王、1993年には全日本ライト級新人王に輝いた。さらに、全日本新人王決定戦MVPを獲得している。
坂本は12戦全勝(10KO)という素晴らしい戦績で同年日本王座に初挑戦し、リック吉村を9回TKO勝ちに沈める。1995年には元世界王者とノンタイトル戦を行い、プロ初黒星を喫している。 1997年、29戦目でWBC世界ライト級王座に初挑戦するが、惜しくも12回判定負けを喫している。復帰後の1998年、再度世界戦に挑むが、またも12回判定負けで王座獲得とならなかった。

坂本は4度目の世界戦で畑山と対決、激戦となるも敗れる

坂本博之は、2000年3月12日に3度目となる世界戦に挑む。WBAに照準を絞り、世界ライト級王者ヒルベルト・セラノに挑み、1ラウンドから2度のダウンを奪って優勢に。しかし、2ラウンド目に左アッパーを喰らって右目を負傷してしまう。この負傷が響き、傷が深くなったことでドクターストップをかけられてTKO負けとなった。
諦めない坂本は同年10月11日、4度目の世界王座に挑む。相手は6月にセラノを降して王座を獲得した畑山隆則だった。坂本は凄まじい攻防を見せるが、10ラウンド目に畑山の連打につかまってダウンとなり、セコンドからタオルが投入されて試合に敗れてしまった。この試合は年間最高試合に選ばれており、ボクシングファンの間では「伝説の試合」と呼ばれている。

児童養護施設の子供たちへ支援活動を続ける坂本博之

坂本博之は、プロボクサーとなった後、自分と同じ境遇の子どもたちを励まし、勇気づけるために全国の児童養護施設を訪問している。ボクシングを通じて多くの子供たちと心を通わせてきたのだ。
坂本の活動はメディアにも取り上げられ、2000年には児童養護施設の支援を目的として「こころの青空基金」を設立した。現役時代の過酷なトレーニング中にも子供たちを励まそうと、「すべての子どもたちは平等に」という自身の信念に基づいて、子供たちの心の支援活動につなげている。

坂本は現役引退後、子供たちに支援活動を続けるジムを設立

坂本博之は、2007年に現役を引退し、2010年に「SRSボクシングジム」を設立している。ここでは、児童養護施設を卒園してプロボクサーを目指す子どもたちを受け入れており、彼らの自立をサポートしながらボクサーとしての育成も行っている。
また、不登校や自閉症などの悩みを抱える子供たちにも手を差し伸べ、現実と戦う勇気や未来への希望を抱けるように、支援活動とジムの運営という日々で努力を続けており、多くのメディアによって「現代のタイガーマスク」と紹介されている。

まとめ

坂本博之は、自身と同じ境遇の子供たちに救いの手を差し伸べようとしている。惜しくも世界王者になれなかった自身の夢を、自分が立ち上げたジムに託して、子供たちに夢を与えたいと願っている。 SRSジムから世界戦へと羽ばたく選手がいたら、きっと多くの子供たちの希望を背負って戦いに挑むことだろう。彼らの試合を応援してみたい。