世界最強の男を破った伝説のフック【ジョー・フレージャー】
モハメド・アリを知っている人でも、「ジョー・フレージャーは?」と聞かれると答えにつまる人は多いかもしれない。アリが現役バリバリだった当時、「世界で最も強い男」だったことを疑う人はいなかったが、ジョー・フレージャーは、そのアリを初めて破ったボクサーなのだ。
1971年、WBA・WBC統一ベルトをかけた対モハメド・アリ戦は、ボクシング史上3本の指に入る名勝負だといえる。当時無敗だった「最強の男アリ」に対して互角の戦いを見せたフレージャーは、15ラウンド、強烈な左フックでダウンを奪う。KOには至らなかったが、判定で勝利。
アリに土をつけたフレージャーのフックは、ボクシングファンが「フック論」を語るとき必ず話題にあがる「伝説のパンチ」となったのだ。
超高速フックの使い手【ノニト・ドネア】
WBO世界スーパーバンタム級の現王者ノニト・ドネアは、フィリピンで生まれ、11歳でアメリカに移住したボクサーだ。幼少期にいじめを受けていた彼は、いじめっ子に負けないためボクシングを始めたそうだ。大の親日家で、ガウンやボクシングパンツには「闘魂」や「閃光(ニックネームは「フィリピンの閃光」)」といった漢字が刺繍されている。
そんなドネアは「超高速フック」の持ち主として有名だ。正確なロングフックがストレートと見まがうような速度で飛んでくるため、相手はほとんどかわせない。この超高速フックを武器に5階級を制覇し、世界4団体すべてのチャンピオンベルトを腰に巻くという偉業を達成した。
アジア最高のボクサー【マニー・パッキャオ】
マニー・パッキャオの名を知らないボクシングファンはいない。ボクシング史上2人しかいない6階級制覇を成し遂げた偉大なボクサーで、祖国フィリピンではボクシング以外にバスケット選手、実業家、政治家としても活躍する国民的英雄だ。
そんなパッキャオの武器は、異常なほど高い身体能力がもたらす変幻自在のボクシングスタイルだろう。圧倒的なスピードとキレを誇るパンチだけでなく、相手のパンチをすり抜ける高速のフットワークも大きな武器で、並みのボクサーではパンチを当てることすら困難だ。
一般にフックの弱点は「大振りになりがち」ということ。モーションが大きいと相手に読まれ、カウンターをくらう可能性が高まるが、彼のフックはガードを固めた状態からほぼノーモーションで打ち下ろすように飛んできる。コンパクトでハイスピードなフックは、ポイントだけでなく相手のスタミナを確実に奪うので、いつの間にか彼が主導権を握る展開になるのだ。
80年代ミドル級を支えたミスターパーフェクト【マービン・ハグラー】
長いボクシングの歴史で最も完成されたボクサーとして名前が挙がるのがマービン・ハグラーだ。80年代、ミドル級の統一世界王者として君臨した彼は、右でも左でもあらゆる種類のパンチを自在に放てるテクニックと、相手の動きを憎いほどの冷静さで見極める目を持つ稀有なボクサーだった。
そんなハグラーの素晴らしいフックが見られるのが、トーマス・ハーンズと戦った85年の世界統一ミドル級タイトル戦だ。天才型のハードパンチャーであるハーンズと珍しく正面から打ち合いに出たハグラー。3ラウンド、ハグラーの攻撃から逃げるようにわずかにガードを下げたハーンズの体勢を見逃さなかったハグラーは、相手にダイブするような右のロングフックを放つ。脳震盪を起こしたハーンズはハグラーの追い込みをかわす間もなくリングに倒れ、決着がついたのだ。
1ラウンド3分ジャストの劇的ダウンを生んだ右フック【浜田剛史】
最後に紹介するのは日本の浜田剛史だ。彼は大変まじめなボクサーで、酒やタバコを一切やらず、遊びも排除し、練習の鬼と化すことで有名だった。練習のしすぎで立てなくなり、あわや世界戦が不戦敗となる危機もあったほどに。
そんな浜田選手はフックの名手として定評があったが、彼のフックの存在をファンに知らしめたのが、87年のWBC世界スーパーライト級タイトル戦だ。絶対王者レネ・アルレドンドに対して1ラウンドから全力で打ち合いに臨んだ浜田。レネも強烈なフックの使い手だったが、そのパンチをかいくぐりながら相手の懐深く入り込み、2分57秒、鮮烈な右フックを叩き込む。ガードががら空きになったレネに「3秒間の猛烈なラッシュ」をかけた浜田。レネは3分ジャストにリングに沈み、浜田は見事KO勝ちで世界王者となったのだ。
まとめ
今回紹介した5名だけでは、到底「フックの名手」を網羅することができない。
ボクシングはどんどん進化しており、フックの技術もますます磨かれている。
まだデビューしていない未来のスターボクサーの中に、とんでもないフックの名手が現れるかもしれない。