【井上尚弥の功績1】高校時代から国内外で活躍してきた逸材
1993年、神奈川県座間市で生まれた井上尚弥。ボクシングとの出会いは小学1年生の頃。父がジムを経営しており、グローブをつけることは必然だったのかもしれない。小学6年生で初めて試合に出場、少しずつ実戦経験を積みながらボクシングの面白さを追求していく。
新磯高校に進学してボクシング部に所属すると、1年生ながらインターハイ・国体・選抜で優勝、2年時には世界ユース選手権ベスト16、全日本アマチュア選手権大会で準優勝と、活躍の場を広げた。
高校3年時には、国内ではインターハイと全日本選手権を制覇。国外でも世界選手権ベスト16、アジア選手権で準優勝と、世界に通用するポテンシャルを証明した。
【井上尚弥の功績2】異例の8回戦でのプロデビュー
高校7冠という輝かしい実績を引っ提げて、卒業後にプロ入りを志した井上は大橋ジムに入門する。記者会見で、当時は井岡一翔が持っていた世界王座最短奪取記録を塗り替えることを宣言。プロテストに一発合格すると、2012年7月2日にプロデビュー戦を迎える。
拳を交えるのは、東洋太平洋ミニマム級7位のクリソン・オヤマオ(フィリピン)。格上の相手にひるむことなく1ラウンド開始のゴングからパンチを打ち込み、すぐにダウンを奪うと、4ラウンドに放ったボディがクリーンヒットして見事なKO勝ち。10代で8回戦デビューは史上初、会場も超満員の中で行われた異例づくしの一戦だった。
【井上尚弥の功績3】プロ6戦目で世界の頂点に
世界タイトルを獲るまでのスピードは目を見張るものがあった。2013年8月、プロ4戦目で日本ライトフライ級王座に就くと、続く5戦目は早くも東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦。同級2位のヘルソン・マンシオ(フィリピン)を撃破した。そして迎えた2014年4月、WBC世界ライトフライ級王者のアドリアン・エルナンデス(メキシコ)に挑戦する。
試合3週間前にインフルエンザに感染、減量苦もあって決して万全とは言えない状態。素早いフットワークから有効打を当てて上々の滑り出しを見せたが、3ラウンドで足がつるトラブルが発生した。早々に勝負を決めようとインファイトを挑み、6ラウンドに放った右フックでダウンを奪ってTKO勝ちした。最後は苦しんだが、当時の日本最速6戦目で世界チャンピオンの座に就いた。
【井上尚弥の功績4】プロキャリア無敗の王者を相手に2階級制覇に挑戦
戴冠から5ヶ月後の初防衛戦で勝利を収めると、井上は王座を返上してスーパーフライ級に転向。減量がハードで、アドリアン・エルナンデスとの一戦では減量苦から足がつったこともあり、より戦いやすい舞台を選んだ。
WBO世界スーパーフライ級8位にランクインし、2014年を締めくくる一戦として用意されたのが、王者オマール・ナルバエス(アルゼンチン)とのタイトルマッチだった。アマチュア時代から一度もダウンを奪われたことがなく、スーパーフライ級以下では14年間無敗、フライ級王座を16度防衛した後、同級を11度防衛中と、まさに「世界最強」「無敵」の呼び声高い王者だ。
井上本人も「KO勝ちは無理」「判定でもいいから勝ちにいかないといけない」と言い、キャリア最大の難関になると予想された。
【井上尚弥の功績5】前評判を覆して2階級制覇を達成
運命の一戦のゴングが鳴ると同時に、積極的に前に出る井上。相手をうかがうスタンスの王者に、開始30秒で井上が放った右ストレートがクリーンヒットすると、王者が初めてのダウン。このダメージから防戦一方となり、2ラウンド3分1秒でまさかのノックアウトとなった。井上は4度のダウンを奪い、ナルバエスが4年7ヶ月に渡って保持していたチャンピオンベルトを強奪した。
あまりの強打にナルバエス陣営がグローブの中の確認を求めてきたほどで、とてつもない強打にナルバエスも驚きを隠せなかったのと同時に、ニューチャンプの誕生に賛辞を惜しまなかった。歴史をひっくり返すようなジャイアントキリングに成功したのだ。
まとめ
井上がノニド・ドネアにしか負けたことのなかったナルバエスを破り、世界最速となる8戦目で2階級制覇したニュースは、世界中にサプライズとして報じられた。
その後、同タイトルを7度防衛して返上。WBAバンタム級王座を奪取して3階級制覇に成功した。日本ボクシング界を引っ張る井上尚弥には4階級、5階級制覇の期待も高まっている。