【長谷川穂積の功績1】父が師となりボクシングの世界へ
兵庫県西脇市で生まれた長谷川穂積。ボクシングとの出会いは小学2年生の頃。ボクサーだった父の教えを受けて基礎を学んだ。本格的にジムに入ったのは通信制の高校を卒業した19歳になってからだった。
1999年にプロテストに合格すると、同年11月にプロデビューを果たす。試合を重ねる中で実力を磨き、デビューから4年半でOPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得。3度防衛の後、世界挑戦を見据えて同タイトルを返上する。
Ⓒゲッティイメージズ
日本ボクシング界が誇る英雄、長谷川穂積。 バンタム級王座を10度防衛、35歳で3階級制覇を達成するなどがこれまで残してきた功績に迫る。
兵庫県西脇市で生まれた長谷川穂積。ボクシングとの出会いは小学2年生の頃。ボクサーだった父の教えを受けて基礎を学んだ。本格的にジムに入ったのは通信制の高校を卒業した19歳になってからだった。
1999年にプロテストに合格すると、同年11月にプロデビューを果たす。試合を重ねる中で実力を磨き、デビューから4年半でOPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得。3度防衛の後、世界挑戦を見据えて同タイトルを返上する。
2005年、長谷川穂積の世界王座挑戦の前に立ちはだかったのは、WBC世界バンタム級王者だったウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)。1998年から14連続防衛中、6年以上チャンピオンベルトを守り続けた絶対王者だ。かつて辰吉丈一郎を2度倒し、西岡利晃の挑戦を4度もはね返したこともあり、日本人に馴染みのあるボクサーだった。
試合の序盤を制したのは長谷川。小気味よくパンチを刻み、ポイントを重ねていく。中盤は落ち着きを取り戻したウィラポンが有効打を稼いだが、スタミナ切れを起こして終盤に失速。3-0の判定勝ちで長谷川穂積が金星を挙げ、新たなバンタム級王者となった。
長谷川穂積が絶対王者を破り、バンタム級は新たな時代の幕開けを迎えた。新王者は初防衛戦で4度のダウンを奪って快勝すると、2度目の防衛戦はウィラポンとの再戦。リベンジに向け万全を期した相手を、長谷川は9ラウンドTKOで返り討ちにする。以後、2006年から2009年にかけて10連続防衛を達成。その勝負強さは目を見張るものがあった。
11回目の防衛戦は3階級制覇を成し遂げているフェルナンド・モンティエル。快調な立ち上がりを見せた長谷川だったが、4ラウンドにモンティエルの左フックがクリーンヒット、さらに連打からダウン寸前に追い込まれると、ラウンド終了間際にレフェリーストップがかかり、まさかのTKO負けを喫した。ワンパンチをきっかけに5年間守ったチャンピオンベルトを奪われた。
長谷川陣営はモンティエルとのリベンジマッチを熱望したが合意には至らず、フェザー級への転向を決意。同級世界ランキング2位として再出発を図った。
2010年11月、空位となった王座をめぐり、1位にランクするファン・カルロス・ブルゴスとの王座決定戦に臨んだ。いつも通り序盤から飛ばした長谷川は、最後まで手数を減らさず、フルラウンドを戦い抜いた。大差をつけて3-0の判定勝ちを収め、WBC世界フェザー級王座を獲得。バンタム級王座陥落から7ヶ月で2階級制覇を達成した。
2011年の初戦でTKO負けし、フェザー級王座の初防衛に失敗した長谷川。2012年からは階級をスーパーバンタム級に変えて再起を図る。ノンタイトル戦3試合を経た2014年4月、IBFスーパーバンタム級王者のキコ・マルチネス(メキシコ)に挑戦したが7ラウンドTKO負けを喫し、3階級制覇は失敗に終わった。
この時点で引退も噂されたが、2015年1月に現役続行を表明した上で、2つのノンタイトル戦をこなし、2016年9月にWBC世界スーパーバンタム級王者、ウーゴ・ルイス(メキシコ)との対戦が実現。KO率の高い相手に、35歳になった長谷川は真っ向勝負を挑んだ。
一進一退の攻防を繰り広げ、9ラウンドに一歩も引かない殴り合いで場内を沸かせると、ルイスは10ラウンドの開始ゴングに応じることができず棄権。苦しい展開を耐えて攻め切った長谷川が見事に3階級制覇を達成した。
35歳を超え、ボクサーとしての能力は衰えつつあったものの、若さや勢い、パワーに負けない勝負強さがあった。3つめのタイトルの防衛戦は行わず、王者のまま引退。輝かしい実績と強烈なインパクトを残してグローブを吊るした。