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三浦隆司がボクシング業界に与えた功績

2016 10/24 19:31
ボクシング
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出典 m.sponichi.co.jp

豪快なパンチでTKOを量産する爽快な試合の多い"ボンバーレフト"三浦隆司選手の生い立ちや戦績、業界に与えた影響を紹介する。

”ボンバーレフト”三浦隆司とは?

三浦隆司は、帝拳ジム所属の強烈な左ストレートを繰り出す豪快なスタイルのファイターで、そのパンチの威力から「ボンバーレフト」と呼ばれている。
第33代WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン、第43代日本スーパーフェザー級チャンピオンとして知られているが、驚きなのはその戦績。なんと35戦30勝(23KO)3敗2分。WBC世界王者として4度の防衛に成功している。この4度の防衛戦において4人のメキシカンをノックアウトしたことから「メキシカン・アサシン」との異名もある。

三浦隆司の生い立ち

1984年生まれ、秋田県三種町出身だ。叔父の政直氏は元日本フェザー級王者。その影響からか、小学生の頃からボクシングに興味を持ち、中学3年生で秋田市内のボクシングジムに通い始めた。
身体能力が高く、高校の頃からすでに頭角を現しており、2002年によさこい高知国体で優勝している。2003年にB級プロテストに合格するまでのアマチュア戦績は驚きの40戦34勝(22KO・RSC)6敗。当時パンチ力のあるサウスポー・ファイターとして話題になった。

寡黙な"ボンバーレフト"が生み出す豪快な戦績

2003年5月、B級6回戦でプロテストに合格後、横浜光ボクシングジムに所属し、同年7月にはプロデビュー。その後13戦無敗1引分で、2007年に日本スーパーフェザー級タイトルマッチで小堀祐介に挑むも10回判定負け。2009年、第30回チャンピオンカーニバルで矢代義光に挑戦して判定引き分けとなったが、同年に再挑戦してTKO勝ちで日本スーパーフェザー級王座を獲得した。
その後、4度の防衛戦を経て、2011年に世界スーパーフェザー級王者・内山高志に挑戦するも8回TKOで敗退し、その後帝拳ジムに移籍する。2013年、WBC世界スーパーフェザー級王者ガマリエル・ディアスにKO勝ちして王座を獲得後、4度の防衛に成功した。4度の世界タイトル防衛戦のうち、3回がTKO勝ちという恐ろしい戦績だ。
2015年にフランシスコ・バルガスに9回TKOで敗退し、ついに防衛失敗。その後は再起をめざして試合を重ねている。

TKOを量産する"ボンバーレフト"とは

三浦選手を語るときに外せないのは「強烈な左」だ。手数が多く、守りより攻撃に重点を置いた大胆なスタイルで、「一発当たれば」が期待できる重量級のパンチだ。また、攻撃を受けても何度でも向かっていく根性と打たれ強さもTKO量産の理由の一つだろう。

文字通りの一撃KOだった。元IBF世界フェザー級王者の挑戦者を相手に、序盤からジリジリ距離を詰めて強打をフルスイングしていく。
そして3R、ついにボンバーレフトが爆発する。重厚なプレッシャーで相手をコーナーに追い込むと、強烈無比な左ストレートが完璧にヒット。
この一発でほぼ勝負は決した。崩れ落ちる挑戦者をワンツーでたたみ掛けて、あっという間に試合を終わらせた。

出典: 東スポWeb

防衛失敗、しかし世界に通用するエンターテイメント性を証明

4度の防衛に成功して波に乗った三浦選手は、2015年に同級1位のフランシスコ・バルガス(メキシコ)との防衛戦に挑んだ。
舞台はボクシングの聖地と呼ばれるラスベガスの「マンダレイ・ベイ・ホテル&カジノ・イベンツセンター」。激闘の末バルガス選手に軍配が上がったものの、激しい打ち合いとダウンの応酬が続く展開にファンは熱狂!アメリカ各局の2015年年間最高試合に選ばれた。
日本人がラスベガスで試合を組み、年間最高試合に選ばれるのは異例のことだ。日本ボクシング会が世界に通用するエンターテイメントとしての一面をより強くしたと言えるだろう。

まとめ

ボクシングをあまり知らない人でも思わず興奮してしまう熱いファイトを重ねてきた三浦選手。 再起をかけた挑戦も続いており、今後の活躍に目が離せない。 ぜひ、これからの活躍をチェックしてみて欲しい。

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