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日本ボクシング界の新鋭・村田諒太の功績をチェック!

2016 10/24 19:31
ボクシング
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出典http://cs-park.jp/

2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得した村田諒太。 日本ボクシング界において、オリンピックでメダルを獲得したボクサーはそう多くない中で、かつてないほどの注目を浴びたこのボクサーの功績に迫る。

【村田諒太の功績1】南京都高校で競技人生をスタート、高校5冠を達成

奈良で生まれ育った村田諒太とボクシングの出会いは中学生の時。担任の勧めで地元の高校が主催する週末ボクシング教室に通ったのがきっかけだった。
きちんとプレーを始めるのは南京都高校でボクシング部に入部してから。高校2年時にその才能は突如開花し、選抜大会・インターハイ・国体で3冠を達成。スターダムに踊り出る。高校3年でも選抜大会とインターハイを制覇。国体は県予選で敗れ6冠こそ逃すが、5つのタイトルを獲得して全国的に有名なボクシング選手として名乗りをあげることになった。

【村田諒太の功績2】ボクシングの名門・東洋大学へ進学

南京都高校を卒業後、村田諒太は東洋大学へと進学。ボクシングの名門と呼ばれる同校でもその実力を遺憾なく発揮する。
全日本選手権を2度制覇するなど国内での実績は十分。ここからアジア大会、世界選手権など国際大会への出場も増えていく。タイで行われたキングスカップでは、K-1ファイターと対戦しながら準優勝に輝いたこともあったが、タイトル獲得には至らず。 世界の壁を痛感したことで、現役からの引退を決意する。

【村田諒太の功績3】一度引退しながら現役復帰、国際舞台でも活躍

大学卒業後に村田が選んだのは、東洋大学職員として勤務しながらボクシング部コーチとして後進を育てる道だった。しかし、部員が不祥事を起こしてしまい、監督責任を問われる形で辞任。部の存続すら危ぶまれた中で、村田は自らが現役復帰する形で母校の名誉を回復しようと決意したのだ。
再び競技の世界に舞い戻った村田は、2009年から全日本選手権を3連覇しただけではなく、世界選手権で銀メダルを獲得するなど国際的にも強いボクサーとしてその知名度を上げていった。

【村田諒太の功績4】ロンドン五輪で金メダルを獲得

そうして迎えた2012年のロンドン五輪。ミドル級日本代表選手として出場した村田は、準々決勝でアデム・キリッチ(トルコ)、準決勝でアボス・アトエフ(ウズベキスタン)を撃破。決勝でもエスキバ・ファルカン(ブラジル)を僅差で破り見事優勝を飾る。
前評判は決して高くはない選手ではあったが、まさかの金メダル獲得に日本中が驚愕した。ボクシング競技での日本人選手のメダル獲得は、1964年に開催された東京五輪での桜井孝雄(バンタム級)以来ということで、一夜にして村田諒太の名は日本全国に知れわたることになったのだ。

【村田諒太の功績5】プロ入り後11戦無敗、世界王者を狙える位置に

五輪金メダリストの肩書きを持って、2013年にプロボクサーへの転身を決意。競技ボクシングへの愛情は大きなものだったが、紆余曲折を経てプロの世界に足を踏み入れることになった。
プロテストは問答無用の一発合格、2013年に迎えたデビュー戦は2ラウンドTKO勝ちという上々の滑り出し。以後ノンタイトル戦を戦いつつ実力を積み上げている。これまでキャリア無敗、ランキングもWBOとIBFが3位、WBCが4位、WBAが9位と世界タイトルを狙える位置にいることは火を見るより明らかだ。

まとめ

かつて「ラスベガスで試合をするのが夢」と語っており、かねてから海外志向が強い村田諒太。中途半端なプロボクサーよりも強いアマチュアボクサーだった彼のプロキャリアは、今のところ順風満帆だ。 プロ転向後もファンは増えており、その多くが世界タイトルをかけた戦いを期待している。村田が聖地・ラスベガスでチャンピオンに挑戦するビッグマッチを戦う日も近いのかもしれない。

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