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プロバスケットボール選手、石崎巧の功績を振り返る

2017 1/10 23:42
バスケット選手,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

石崎巧選手は、日本だけでなく海外でもプレー経験があるバスケットボール選手として、常に注目されてきた。 そんな石崎選手がバスケットボール界に残してきたさまざまな功績について振り返っていきたい思う。

アマチュアにおけるトップクラスの選手に

福井県福井市出身の石崎選手は、北陸高校時代からウィンターカップで準優勝を果たすなど頭角を現すと、東海大学に進学後は、同ウィンターカップの優勝校・洛南高校出身である「竹内兄弟」の弟として知られる竹内譲次選手らと共に、中心選手となった。
特筆すべきは2003年。大学バスケットボール最高峰の舞台である全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)優勝を果たし、東海大学のインカレ2連覇に大きく貢献したのだ。

JBLでの活躍とドイツリーグへの挑戦

東海大学を卒業した石崎選手は、JBLの企業チームである東芝ブレイブサンダース神奈川に入団して、ルーキーイヤーから主力選手となる。
日本代表にも選出されるなどまさに順風満帆だったのだが、石崎選手はこれに満足することなく2010年に東芝を退社すると、ドイツのバスケットボールチームに入団することを目標に海を渡ったのだ。
しかし、ドイツのプロチームとの契約にこぎつけることはできず、石崎選手は失意の時を過ごした。

bjリーグでの活躍

帰国した石崎選手は、日本のもう一つのプロリーグであるbjリーグの島根スサノオマジックに入団してプレーすることになった。
ドイツリーグでのプレーこそ叶わなかったが、日本では相変わらず高い存在感を誇り、bjリーグに所属している選手では初めてとなる年間ベスト5賞に選出されるという快挙を成し遂げたのだ。
バスケットボール協会とbjリーグが仲違いしていた時期だったこともあり、二つのリーグで活躍した選手が少なかったことから大きな注目を集めた。

再びドイツリーグへの挑戦へ

日本ではトップクラスであることを改めて証明した石崎選手は、2011年に再びドイツリーグへの挑戦を表明し、2部所属のBVケムニッツ99との契約に成功する。
BVケムニッツ99においてしっかりと出場機会を掴むと2013年、石崎選手は1部所属のMHPリーゼン・ルートヴィヒスブルクと契約を果たし、念願であるドイツリーグ最高の舞台でプレーすることになったのだ。
契約すら果たせなかった最初の挑戦から一転して、大きな成果を残すことになった。

諦めない気持ちが多くの人を沸かせる

石崎選手は、どれだけ活躍しても現状に満足せず上を見据えてプレーする選手であることが分かる。
また、一度挑戦に失敗するという苦しい経験をしても再び挑戦し、しっかりと成果を残すというエピソードは、多くのバスケットボールファンを沸かせることになった。
残してきた成績はもちろんのこと、バスケットボールに対する取り組みの姿勢が他のプレーヤーのお手本になっている点も、石崎選手の残してきた功績の一つなのだ。

まとめ

現在はBリーグの名古屋ダイヤモンドドルフィンズでプレーしている石崎選手。 二つのリーグが統合されて今年から開幕したBリーグの初代王者を目指すチームを支える存在として、新たなる功績を積み上げていくことを期待したい。