川村卓也選手のおいたちとは?
川村選手は岩手県盛岡市出身。主な役割はシューティングガード。3ポイントシュートをはじめとした長距離シュートを得意とする選手が担うことが多いポジションだ。日本のバスケットボール選手は、将来性のある高校生はほぼ関東の大学へと進学していくのが一般的。しかし、川村選手はその道を選ばず、高校卒業後すぐに実業団チームのオーエスジーフェニックスに入団した。日本では初となる高卒でプロ契約を結んだ選手なのだ。
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プロバスケットボールプレイヤーの川村卓也選手をご存知だろうか?実は、日本では初となるある契約を結んだことで話題となった選手なのだ。川村選手のこれまでの功績や、エピソードを紹介していく。
川村選手は岩手県盛岡市出身。主な役割はシューティングガード。3ポイントシュートをはじめとした長距離シュートを得意とする選手が担うことが多いポジションだ。日本のバスケットボール選手は、将来性のある高校生はほぼ関東の大学へと進学していくのが一般的。しかし、川村選手はその道を選ばず、高校卒業後すぐに実業団チームのオーエスジーフェニックスに入団した。日本では初となる高卒でプロ契約を結んだ選手なのだ。
川村選手とバスケットボールは小学生時代からの付き合い。小学生時代はミニバスケットボールで技術を磨き、中学生になると3年生の時に開催された全国中学校体育大会でベスト4入りを果たす。その後は盛岡南高校に進学。入学当時から才能あるシュート力と得点力で話題になっていた。
1年生で出場した全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では1回戦で敗れはしたものの、チームトップとなる22得点を記録。2年生で出場した全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会ではベスト16進出、3年生ではベスト8入りに貢献した。
川村選手は高校3年生のときにバスケットボールU-18の日本代表にも選ばれた経験がある。その際に主将を務め、FIBAアジアジュニア選手権に出場。9位という成績を納める。 その翌年となる2005年には国際バスケットボール連盟(FIBA)とNBAが共催して行ったバスケットボール ウィズアウト ボーダーズのキャンプメンバーに選出。19歳以下のトップ選手を集めたこのキャンプでコーチを務めたNBAの選手からの評判も良く、最終的にMVPに選ばれた。
高校卒業後、社会人チームのトップチームであるオーエスジーフェニックスに入団した川村選手。ルーキーイヤーに新人王を獲得するなど、プロの世界に足を踏み入れ、早くもその才能をいかんなく発揮する。翌年2006-07シーズンには全日本総合バスケットボール選手権大会とスーパーリーグともにベスト5を獲得。これは史上最年少となる記録的な功績だった。
その後はリンク栃木ブレックスへ移籍し、2008-09シーズンに得点王を獲得。24年ぶりとなる日本人の得点王となった。
20歳くらいの若いときは好きなものを好きなだけ食べていた川村選手。しかし30歳を迎え、だんだんと太りやすくなってきた体質に危機感を覚えだした。川村選手は目の前に出された食事に対して「残したら申し訳ない」と思ってしまうタイプ。そこで夫人にも協力してもらい、川村選手が好きな和食を中心としたメニューをリクエストした。バランスの良い食事が取れるよう、夫婦二人三脚で取り組んでいる。
現在の川村選手の活躍は"内助の功"効果もあるのかもしれない。
日本初の高卒プロバスケットボール選手である川村選手。プロへの道はひとつではないと、才能ある後輩たちの先駆けとなりバスケットボール界を駆け抜け続けてきた。2016年からは横浜ビー・コルセアーズに移籍し、さらなる飛躍を遂げてくれることだろう。