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【Bリーグ】千葉ジェッツの社長が交代 「より千葉ジェッツらしくしていきたい」

島田慎二前社長(会長)と握手を交わす米盛勇哉社長(左)Ⓒマンティー・チダ
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Ⓒマンティー・チダ

7年半貫いたリーダーシップ経営

2019年8月20日、千葉ジェッツが社長交代を発表した。千葉ジェッツ第9期株主総会後に行われた取締役会で、島田慎二氏の代表取締役会長就任(以下島田会長)と米盛勇哉氏の代表取締役社長就任が承認。島田会長は2012年2月1日から約7年半に渡って千葉ジェッツを陣頭指揮し、米盛社長は29歳で入社から半年足らずで社長に就任となった。

島田会長が社長に就任した2012年は千葉ジェッツにとって大きな転換点となっていた。就任から3か月後には、当時在籍していたbjリーグからNBLに電撃移籍を発表。「名もないbjリーグの弱小クラブがなんてことをしてくれるのだ」と当時バスケ界の話題になっていた。

「ここから1年間は非常に苦しかった」

島田会長は当時の心境を語った。

「bjリーグの中では裏切り者扱い。NBLからは『本当にできるの?』と言われるなど、どちらのリーグからも非常に厳しいまなざしを受けた。ラストシーズンのbjリーグは、全クラブが『ジェッツだけには負けるな』という感じで臨んできた。どこに行ってもファンから厳しい目を向けられ、厳しい環境だったことを覚えている」

数々の非難を浴びながら、bjリーグのラストシーズンを過ごし、2013-14シーズンからNBLへ参入する。千葉ジェッツは開幕から4連勝と好スタートを切るが、その後は怒涛の20連敗を喫する。

「もうすぐ卵を投げられるのではないか?ファンからはシーチケ(シーズンチケット)を目の前で破られ、投げられ『二度と来るか』と言われたこともあった」

島田会長は、当時‟打倒トヨタ(現・アルバルク東京)”という目標を掲げていた。当時も盟主だったトヨタを倒したいために、このような目標を掲げたが、2013-14シーズンにおいては6戦全敗。ダブルスコアで敗れることもありメンツ丸つぶれになったのだ。

「これではいかん」ということになり、選手を補強。西村文男や、ジャスティン・バーレル(現・名古屋D)の2選手を獲得した。2014-15シーズンは対トヨタにおいて3勝2敗。チーム力を上げることに成功し、プレーオフ進出も果たした。この頃から事業規模が少しずつ大きくなって、選手への投資も積極的になり始めた。まさにジェッツが成長を始めた瞬間だ。

NBL3年目を迎えて、元日本代表HCでもあるジェリコ・パブリセビッチ氏を招聘。岡田優介(現・京都)や当時セリエAで怪我をして日本に戻ってきた富樫勇樹を獲得。経営努力の甲斐もあって事業規模も6億円を突破し、栃木(現・宇都宮)を上回り、入場者数と共にリーグトップに躍り出る。しかし、チームの方はうまくかみ合っておらず、プレーオフ進出がやっとだった。

2016-17シーズン、Bリーグが発足し、1年目を迎える上で、チームスタイルを作ることに着手した。大野篤史HCを迎え、富樫を中心とした『アグレッシブなディフェンスから走るというスタイル』を軸として3年計画で日本一を目指す目標を立てる。結果、プロクラブとして初の天皇杯制覇。2年目、3年目も天皇杯優勝とチームとして順調に成長を遂げていた。

Bリーグ・千葉ジェッツ島田会長Ⓒマンティー・チダ

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事業面では株式会社ミクシィと資本提携を結び1万人規模のアリーナ計画を発表。さらに、富樫が1億円プレイヤーとなるなど、島田会長が社長として在籍した7年半でチームは急成長を遂げた。

「7年半でスポーツクラブが短期で急成長を果たしたところはそんなにないのではないかな」

島田会長もそう振り返る。

もちろんここまで来るには、選手・社員の頑張りや、ファン、スポンサーの支えが何より大きい。島田会長の性格は‟ぐいぐい引っ張っていくタイプ”で、そうやってリーダーシップ経営を進めてきた。千葉ジェッツはこうして順調に着実に成長してきた。

急成長を遂げ転機を迎える

短期間で急成長を遂げた千葉ジェッツ。これまでは島田会長が先頭に立ってリーダーシップを出してきたが、2017年に転機を迎える。

それは千葉ジェッツ代表取締役と兼任でBリーグバイスチェアマン(副理事長)に就任したのがきっかけである。リーグとチームで二足の草鞋を履くことになり、週に1、2日はBリーグの仕事でチームを空ける状況となった。この時期に島田会長は「私が万が一何かあった場合にちょっと大変だな」と考えるようになったという。

島田会長は‟100年存続するクラブ”を標榜し、‟千葉ジェッツふなばしを取り巻く全ての人たちとハッピーになること”の実現にむけて奔走した。このクラブを100年存続させるために、数々の‟礎”を築き上げてきた。

島田会長は100年続くための礎として以下の三つが重要だと話す。

(1)これからバスケ界は成長や発展をする中で資金力や経営力が無いと、上で戦うことは難しくなる。資本力・資金力が必要。
(2)大きな箱を持って、お客様の満足度を上げて多くのお客様の中で事業規模を拡大していくことは必要不可欠。
(3)自信を持ってバトンを渡せる後継者を発掘し育成する。

(1)と(2)は地元のパートナー企業とミクシィで賄える。問題は(3)の後継者探し。後継者が必要だと、ここで本腰を入れた。

後継者に米盛氏を指名「経験は積まないといけない」

後継者探しは昨年の秋から本格的に始まり、縁があって米盛氏と出会う。その後、米盛氏は『後継者候補』として3月に千葉ジェッツへ入社し、現場でスタッフと共に汗をかきながら、島田会長と共に経営現場を歩き経営判断のスキルを身に付けていった。そして入社から5カ月目に社長に就任する。米盛社長の誕生である。

「話をもらった瞬間は驚きや戸惑いがあった。しかし、島田会長から『思い切って米盛に任せる。自分はサポートする』という話から一大決心して社長のポジションを引き受けた」

そう語る米盛社長は、1989年鹿児島県生まれ。2013年より社会人生活をはじめ、スポーツと畑違いの業界で働いてきた。だが、小学校から高校生までバスケットボール選手として活動しており、競技を見る立場になっても、バスケットボールは面白いと感じてビジネスとしても自分が主体となって動きたいと考えるようになった。「スポーツ業界、バスケ業界に自分のキャリアをかけてみたい」と思い始めたのが4、5年前のことだったという。

「本人の意欲やビジネスの感覚、頭の切れや情熱であるとか私に無いところを持っている。基礎的な諸条件的なものが若いのに備わっている。ビジョン共有や経営戦略とかも一緒に作ったし要所でセンスと言うか力量がある」

島田会長は米盛社長の印象としてこのように話す。そして、経営者に就く上で持論を展開した。

「副社長に就任したのが4月。後継指名を前提としていたので社内にもそういうポジショニングだと明確にして一緒にやり始めた時に、私が1(社長)で米盛が2(副社長)よりも、私が0で彼が1の方がうまくいくし育つのではと考えた。足りないのは経験だけ。経営者としての野性的な直感とか、経験とかはやっていくしかない」

参考としてBリーグ初年度からチームを率いる大野HCの例を示す。

「大野HCは当時ACでしか経験が無かったが、思いを共にして我々の考えに賛同してくれた。現在は立派なヘッドコーチに育っているが、誰にも初めてというのがある。センスがあって力量があるのであればんどん機会を与えていく。経験は積まないといけない。やるしかない」

大野HCを起用した経験が、米盛社長の誕生につながったのだ。

千葉ジェッツをより千葉ジェッツらしくしていきたい

「千葉ジェッツをより千葉ジェッツらしくしていきたい」

米盛社長は、チームに対する想いとしてこのように話した。この『千葉ジェッツらしさ』とは何なのか?大きく二つ掲げている。

一つ目は‟理念経営”である。これまで千葉ジェッツは「千葉ジェッツふなばしを取り巻く全ての人たちと共にハッピーになる」という理念のもと邁進してきた。

「弱小チームとして出会った時や、観客がなかなか入らない頃から支援頂いている皆様への恩返しをしながら、ミクシィという東京の企業が入ってきたことで、地域密着、地域愛着においては不安な声が少なからずあっただろう」

そういう不安を払拭し、敢えて‟地域密着”を強く打ち出しながら、今後も変わらない理念経営のもと成長していく考えを示した。

二つ目は‟挑戦者としての姿勢”だ。現段階で千葉ジェッツは事業規模においてリーグトップ。成績面でも天皇杯3連覇、リーグ戦は2年連続準優勝。好調であることは言うまでもない。

しかし『ここで安心や慢心をして成長を止めるのではなく、引き続きこれまでの挑戦者としてのマインドを持ちながら常に上を目指していく』ことが大事だとした上で、米盛社長は視点を海外に向けることを示した。

「日本一はもちろんですが、それ以上に海外へ事業展開、あるいは海外のチームと対戦しても互角に渡り合える。そういった上を目指していく、挑戦者としてのマインドを持ち続ける」

数年後には1万人規模のアリーナが完成予定。完成すると観客動員の増加が見込まれる。観客動員が伸びることでクラブの価値も向上し、より多くのスポンサーと共に千葉ジェッツの成長に取り組むことが可能だ。海外からスポンサーを獲得できれば更なる事業展開もできる。

ただ「地域に根差して地域愛着を続けていくという姿勢だけは貫いていきたい」と、海外挑戦したとしても原点は‟地域愛着”であることを強調した。

米盛社長は3月から入社して5カ月余り。「外から見る以上に泥臭い世界」と印象を口にする。

Bリーグ・千葉ジェッツ米盛社長Ⓒマンティー・チダ

Ⓒマンティー・チダ


「泥臭さの裏返しかもしれないが、そういった地道な作業をやりながらみんなで一丸となってブースターに感動を提供する。あるいはスポンサーに感動を提供する。非常に大きなビジネスだ」

そして、チーム内の頑張りはもちろん「これまで支えてくださった社外のステークホルダーの方々の貢献は本当に大きい」と改めて実感したようだ。

千葉ジェッツは、経営環境が良いタイミングでトップの交代を発表した。「100年存続するクラブ」を掲げる中で、これまで島田会長は「リーダーシップ経営」でけん引してきた。これから新体制で米盛社長のもと、千葉ジェッツは次のステージに進むことになる。