日本代表主将として五輪ベスト8、JX-ENEOSで優勝に多大なる貢献
日本代表や所属するJX-ENEOSで司令塔として活躍した吉田亜沙美が、13シーズン過ごした現役生活に別れを告げた。
吉田は1987年10月9日生まれの31歳。東京成徳大高を卒業後、WリーグのJX-ENEOSに入団。「入団した時点でもう出来上がっていた」と佐藤清美監督がコメントするぐらい、すでに選手として完成されていた。
JX-ENEOSに入団後、Wリーグ12回、皇后杯10回の優勝に貢献。今季も皇后杯6連覇、Wリーグでは前人未到の11連覇を達成したことは記憶に新しいところ。
Ⓒマンティー・チダ
さらに、日本代表としてもリオデジャネイロ五輪では主将を務め、チームの司令塔としてベスト8入りに貢献した。
とにかく気持ちの部分がついてこない
吉田は都内で佐藤監督とともに記者会見に臨んだ。「今日は泣きたくないので、泣かせる様な質問はご遠慮ください」と笑顔を見せながら、詰めかけた報道陣へ挨拶をした。
まず、会見で問われたのは「なぜこのタイミングで現役を退く決意をしたのか」だった。
その問いかけには、『気持ち』というキーワードが浮かび上がる。
女子バスケ日本代表は、リオデジャネイロ五輪で20年ぶりの決勝トーナメント進出を決め8位の成績を残した。吉田は司令塔であり、キャプテンとしてチームをけん引し、見事に役割を果たした。しかし、念願だったオリンピック出場を達成以降、気持ちに違和感を持ちながらコートに立っていた。
「日本代表は日の丸を背負い、覚悟を持ってやっていかないといけない。中途半端な気持ちでは関わってはいけないと、私の勝手な考えだが、限界に近い状態だったので、ここで引退することに決めた」と吉田は引退の決断についてそう語るも、心の葛藤も見え隠れする。
「現役を続けるにしても、やめるにしても、後悔することはあると思う。とにかく気持ちの部分がついてこない」とやり残した部分もあるようだ。
吉田は、日本代表で印象に残っている試合を問われたとき、リオデジャネイロ五輪出場権を獲得した瞬間と、五輪本戦、敗戦したオーストラリア戦をあげた。
出場権は、中国に乗り込んで完全アウェイの環境ながら、開催国の中国を下し獲得。その道のりは過酷だった。予選ラウンド初戦の韓国戦は、前回大会の準優勝チーム。ロースコアな展開で厳しい戦いとなり59-53で勝利。中国戦も、前半から我慢比べの展開でどうにか1点差で振り切った。再び決勝で中国とは顔を合わせたが、予選とは違い、日本がペースを握り続けて勝利し、出場権を獲得した。
そして、五輪本戦のオーストラリア戦。「オーストラリアに負けた時は世界の壁を感じた。届きそうで届かない大きな壁。悔しかったし、うまくなりたいという気持ちになった」と格上ながら主導権を握る場面もあり、勝てるチャンスもあっただけに、そう吉田は語る。
Ⓒマンティー・チダ
うまくなりたいという気持ちもありながら、吉田はリオデジャネイロ五輪後、気持ちの違和感と戦うことになる。「気持ちが上がってこないというか、今まで代表で持っていた気持ちと、リオ五輪が終わった時点の気持ちで違う部分があった。私は気持ちが無いとプレーでも表現できない。自分で満足できるプレーができない。120%の力を出し切っても、自分が思い描くバスケットが出来ずに、歯がゆい思いだった」。
現役引退を決めた理由として「気持ちがあがらない」というのが一番妥当な答えだろう。
これからのことは何も考えていない
吉田は、今季からチームで背負う背番号を「12」に戻していた。ルーキーシーズンから14-15シーズンまで背番号「12」をつけていたが、15-16シーズンから昨シーズンまでは「0」を背負っていた。そして、定位置だったスタート5も、藤岡麻菜美に渡し、控えの選手「シックスマン」としてシーズンに臨んでいた。
「現役最後のシーズンは『12』を背負うと、ずっと考えていた。『0』にしたときから、最後は『12』で終わりたいという強い想いがあった。そして、今季がラストだったので『12』に戻した」と続けた。
引退という言葉が頭によぎったのは「昨シーズンの途中ぐらいから」という。そして、現役最後の試合になった今季のWリーグファイナルを終えてから「気持ちがどう変わっているのか確かめたい」と最後まで進退を考えたものの、結局引退の決断をした。
今季のWリーグファイナル優勝も、印象に残っている試合として口にした。
「今季はベンチからスタートしていて、客観的に試合を見ることができた。自分たちのチームの選手は、感動を与えられるような選手が多いし、たくましい仲間だなとすごく思った。こんなに素晴らしい選手と一緒にバスケットできたのだなと改めて感じることができたので、すごく良いシーズンになったと思う。このチームはまだまだ足りない部分もあるし、もっと成長できるところもある」とベンチからチームを眺める景色をこう表現した。
このWリーグファイナルは吉田にとっても意外な展開だったようだ。後半開始早々、3Q残り8分切らないうちにベンチで待機していた吉田は、藤岡に代わってコートに入っていく。コート内では、藤岡がパスミスをした直後だった。
「出されるのが早いなと。全然準備ができていなかった。急に呼ばれて出ていったので、そういうのを出さないように、顔を作って入った」と明かした吉田だったが、三菱電機の猛攻に合いながらも、チームを前人未到の11連覇へ導くことになる。
交代した藤岡は同じポジション。ことあるごとに気に掛ける発言を繰り返していた。Wリーグセミファイナル直前の記者会見でも「個人的には藤岡に頑張ってほしい」とあえて名前を出していたほどだ。
「今季スタートを任されて、責任や重圧を抱えながら、本当に苦しみながらだったと思うが、彼女自身良い経験になったと思う。一皮むけて、ゲームメイクを磨きながら、まずは日本一のポイントガードになる事を考え、日本代表における自分の役割を、自分自身で見つけていくことが大事。彼女の活躍が、日本を引っ張ることに繋がると思うので、頑張ってほしい」と自身の後継者に向けてエールを贈った。
Ⓒマンティー・チダ
「勝ちたいという強い気持ちを持った方が試合を制する」とキャプテンであった吉田はチームに毎回話していたそうだ。そして、佐藤監督は「キャプテンをやりだしてから、チームをまとめることを覚えた」と成長を語る。
多大なる貢献をしてきた吉田。「これからのことは何も考えていない」と今後については白紙を強調。しかし、チームを、女子バスケ界を引っ張ってきた強い「気持ち」を周りがほっておくはずがない。女子バスケ界発展のためにも、まだまだ吉田亜沙美の「気持ち」を求められる時がきっと来るだろう。