スラムダンク発 背番号14のイメージ
バスケットボールで背番号14というと、世代間で大きくイメージが異なっているかもしれない。中学高校の学生バスケにおいて、単なる控えの番号だというイメージを持っている人もいれば、「スリーポイントの名手」という番号としてイメージを持っている人もいる。
後者のイメージはスラムダンク世代か、あるいはこの漫画に大きな影響を受けたという方だ。作中で三井寿がつけていた番号であり、一度はバスケを離れ、不良生活を送っていた三井が、「安西先生……バスケがしたいです」の名言を残し、バスケに復帰。スリーポイントの名手として、数々の名シーンを生み出した。スラムダンク世代は、この番号にあこがれたという方も多いのではないだろうか。
昔からスリーポイントの名手として知られたジェフ・ホーナセック
NBAでも、背番号14の選手にスリーポイントの名手がいる。ジェフ・ホーナセック氏だ。80年代~90年代にかけて活躍した選手で、キャリア14年間でフィールドゴール成功率49.6%。フリースロー成功率87.7%という、長年にわたって安定したプレーを見せた選手だ。とりわけスリーポイントに関しての記録は素晴らしいものを持っている。
キャリアを通じてのスリーポイント成功率は40.3%、94年にはNBA記録となる1試合8度のスリーポイントシュートを決めた。さらに94年12月から95年1月にかけて11回連続スリーポイント成功も記録した。こちらはNBAタイ記録だ。98年、00年にはオールスターのスリーポイントコンテストで優勝を果たしている。
スリーポイントコンテストで伝説を残したクレイグ・ホッジス
クレイグ・ホッジス氏も、背番号14を着けたスリーポイントの名手として知られている。彼のすごさを紹介するには、やはり1990年のスリーポイントコンテストの話は欠かせない。この年はマイケル・ジョーダン氏も出場した注目の大会であったのだが、主役は俺だといわんばかりの活躍を見せたのが、ホッジス氏である。
彼の順番が来ると、まずはいきなり5投連続で成功させると、なんとその後19投目まで連続で成功させた。10球を越えた当たりから1球を投げる度に会場がわき上がり、パーフェクトの期待もかかっていたが、残念ながら20球目を外してしまい、パーフェクトとはならなかった。だが19球連続ポイントというのは、いまだに破られていな不滅の記録だ。合計24ポイントも、未だにオールスタータイ記録である。
日本でも背番号14をつけたスリーポイント名手が!
Bリーグでもスリーポイントの名手が背番号14を着けている。それは、シーホース三河の金丸晃輔選手だ。福岡大大濠高校時代のまだ1年生だった頃からU-18に選出されるほどの選手で、明治大学3年生の時には大学日本代表としてユニバーシアードに出場。少ない出場機会の中で、最終戦ではスリーポイントシュートを6本も決めるなど、大舞台でも高い決定率を誇っていた。
2011年よりJBLに所属するパナソニック・トライアンズ、2013年からアイシンシーホース三河で活躍している。もちろん背番号は14だ。アイアンシーホース三河では、1年目からいきなりスリーポイント成功率1位のタイトルを獲得している。
Bリーグ発足後初となるスリーポイントコンテストを大きく盛り上げる
2016年にBリーグが発足されると、チーム名もシーホース三河に改名し、金丸選手も引き続き中心選手として活躍。初年度からスリーポイント成功率1位となる.426を記録した。オールスターのスリーポイントコンテストにも出場し、秋田ノーザンハピネッツの田口成浩選手と熱戦を繰り広げた。
Bリーグのスリーポイントコンテストは、2日にわたって行われる。各日30点満点、2日合わせて60点満点で競われる。1日目は金丸選手が18ポイント、田口選手が21ポイントと、3点のビハインド。しかし2日目。金丸選手がなんと24ポイントを上げ、合計42ポイントに。1日目の結果を考えると、金丸選手が大きく有利となった。
しかし、田口選手が見せたものはそれ以上だった。途中連続でシュートを外してしまったものの、最後の1投までに20ポイントを獲得。この時点で41点、最後のボールはポイントが2点になるため、これが決まらなければ金丸選手が優勝、決まれば田口選手が優勝という場面。田口選手が投じたボールは、見事にリングをくぐり抜け、田口選手の優勝となった。だが、Bリーグが発足されてから初のオールスターでこの熱戦、今後伝説となることだろう。
背番号14の選手には本当にスリーポイントの名手が多い。もちろん偶然もあるだろうが、中にはきっと漫画の影響で選んだという選手もいるだろう。試合の流れを変えるようなスリーポイントには、この背番号が良く映える。