学生バスケでは単なる番号の1つだが、NBAでは伝説的番号
バスケットボールで背番号13というと、一体どのようなイメージを持つだろうか。中学や高校のバスケにおいては、これといったイメージはないように思う。ベンチ入りした選手がつける番号の1つ、その程度だ。しかし、NBAでは全く違う。
実はこの背番号13、NBAではある伝説の選手が着けていた番号だ。ウィルト・チェンバレン氏、60年代~70年代に活躍し、身長216cmの恵まれた体格を生かして、数々の記録を打ち立てていった選手である。NBAではウォリアーズ、セブンティシクサーズ、レイカーズの3チームに所属し、3チームすべてで背番号13が永久欠番となっているほどの、特別な番号だ。
NBA史上唯一の1試合100得点
数あるチェンバレン氏の功績の中で、もっとも紹介すべきなのは、やはり1試合100得点だろう。1962目3月2日、まだチェンバレン氏がフィラデルフィア・ウォリアーズに所属したいた時の話だ。ニューヨーク・ニックス戦に出場したチェンバレン氏は、相手センターのフィル・ジョーダン氏が欠場していた穴をつき、序盤から次々に得点を重ねていく。それまでの自己記録は1試合78得点であったが、この日は第3クォーター終了までに69得点。この時点でも自己記録更新は確定的だった。
しかし第4クォーターになると、さらに得点ペースが上がっていく。ウォリアーズのチームメイトは積極的にチェンバレン氏にパスを回し、次々にシュートを決めていった。ニックスの選手たちも全力で阻止し、かなりの数のファールが生まれてしまったが、残り46秒でとうとう100得点目を記録。NBA史上唯一の1試合100得点を挙げた選手となった。ちなみに試合は169-148でウォリアーズが勝利した。
通算成績でも圧倒的な数字が並ぶ
それ以外のチェンバレン氏の功績を紹介していこう。
まずは得点王7度、しかも60年~66年まで7年連続で受賞している。またリバウンド王にも歴代最多の11度(1960~64・66~69・71~73年)、さらにセンターの選手では珍しく、1968年にはアシスト王にも輝いている。通算得点31,419はNBA歴代4位、通算リバウンド23,924はNBA歴代1位だ。さらにシーズン記録も総なめしている。
1シーズン平均得点50.4、1シーズン通算得点4,029もNBA記録。1試合100得点はNBA記録なのは言うまでもないだろう。1シーズン平均リバウンド27.2、1シーズン通算リバウンド2,149、1試合最多リバウンド55もNBA記録である。得点もそうだが、特にリバウンドに関する記録は、彼がほとんどを持っている。
日本の「最高のシックスマン」も背番号13を着用
Bリーグで背番号13を着けていたのは、リンク栃木ブレックスの渡邉裕規さんだ。世田谷学園高校から青山学院を経て、2009年よりパナソニックトライアンズへと入団し、2013年よりリンク栃木ブレックスへと移籍した。ポイントガードとして攻守のバランスに優れており、特に勝負強さは抜群だ。試合終盤に何度も、流れを変えるようなシュートを放ったり、体を張る激しい守備が光る選手だ。
日本代表にも何度か選出されており、その際には背番号13着用した。日本の柱である田臥勇太選手が同ポジションにいたため、スターターの5人に入ることはあまりなかったが、抜群の勝負強さと田臥選手とは違ったプレースタイルであったため、「最高のシックスマン」と呼ばれるほど重宝された。
29歳で引退。前向きに次のステージへと進む決意
渡邉裕規さんは、Bリーグが発足された初年度のリンク栃木ブレックスのリーグチャンピオンに貢献している。こちらでも田臥選手と同僚で、時にはシックスマンとして、時には司令塔として活躍した。しかし、2017年シーズン終了後、引退を表明。88年3月生まれで、まだ29歳という若さで大きな決断をした。
NBAでは、背番号13が伝説的な番号となっている。この背番号13にあこがれて、NBAでもこの番号をつけたいと夢見た選手も少なくない。もっとも、3球団で永久欠番になっているので、同じチームで同じ番号というのは実現できそうにないが、背番号13がNBA全体に与えた影響力は、それだけ大きいということだ。