4人の永久欠番のうち2つを占める背番号11
実は日本のバスケリーグでは、背番号11が永久欠番になっているチームが2つある。60年以上の歴史を誇るNBAでは、数多くのスター選手が登場し、永久欠番も数多く存在しているが、一方の日本ではまだプロリーグの歴史が浅く、永久欠番は全体で4つしかない。
しかし、その4つの永久欠番の内、2つが11番というのだから、どれだけこの番号が特別かがわかるだろう。いったい、どのような選手がこの番号をつけていたのだろうか。
実は日本のバスケリーグでは、背番号11が永久欠番になっているチームが2つある。60年以上の歴史を誇るNBAでは、数多くのスター選手が登場し、永久欠番も数多く存在しているが、一方の日本ではまだプロリーグの歴史が浅く、永久欠番は全体で4つしかない。
しかし、その4つの永久欠番の内、2つが11番というのだから、どれだけこの番号が特別かがわかるだろう。いったい、どのような選手がこの番号をつけていたのだろうか。
まずは菅裕一さんから紹介しよう。2000年から日立サンロッカーズへ所属していた選手で、2010年まで在籍。入団した当時は日立サンロッカーズもまだ創部したばかりのチームだったが、そんなチームを中心選手として10年間支えてきた選手だ。
プレーヤーとしてはスピード感のあるプレーが武器で、同じくスピードプレーを得意とする五十嵐圭選手とのコンビネーションは非常に強敵であった。2001年、2002年には日本代表にも選出されるなど、日本を代表するガードの1人として知られるようになっていく。
また2008-09年シーズンの活躍も印象的であった。チームも創設8年目を迎え、順調に強くなっていったものの、まだリーグ戦やオールジャパンでの優勝経験はなし。いつしかこれらのタイトルを獲得することがチームの悲願になっていた。
そんな中、2009年の1月に行われたオールジャパン大会では、緒戦の天理大学を91-53、準々決勝のリンク栃木ブレックスを76-55、準決勝のパナソニックトライアンズ戦を90-72で勝利。チーム初となる決勝戦に進出したのだ。特にパナソニック戦では後半から菅さんが絶好調。第3ピリオドだけで3本のスリーポイントを決めるなど、19得点をあげて勝利に貢献した。
残念ながら決勝は前年の優勝チームであるアイアンシーホースチームに敗退して氏まったっものの、チームは確実に1歩前進していた。またシーズンでも菅さん年間ベスト5に選出されるなど、チームとしても個人としても最高の1年となった(チームはその後2015年に優勝)。
それだけに2009-10年シーズンでの突然の引退発表は、本当にファンを驚かせた。まだまだ選手としては十分なプレーを見せることはできていたのだが。最後は突然のお別れになってしまったが、10年もの間チームを支えてきた功績が認められ、背番号11が永久欠番に制定されている。
もう1人の永久欠番、川面剛さんを紹介しよう。川面さんは1997年に松下電器に入社し、その後2005年に地元福岡で設立された福岡レッドファルコンズへと入団した。当時チームはJBLスーパーリーグに所属しており、川面さんも念願のプロバスケ選手都としての第1歩を踏み出した……かのように思われた。しかし、チームは経営難に陥ってしまい、わずか半年ほどで解散してしまったのだ。
だがここでくじける川面さんではない。自身が率先して行動を起こし、2006年春にはクラブチーム「福岡BBボーイズ」を設立。スポンサーも順調に獲得し、2007ー08年シーズンからは早くもbjリーグへの参入が決まった(参入に伴ってチーム名も「福岡ライジングBB」に変更)。かなり遠回りになってしまったが、ようやく念願だった地元福岡でプロバスケ選手としての1歩目を踏み出すことができた。
それ以降も川面さんはひたすら走り続け、福岡ライジングBBではキャプテンに就任し、中心選手としてチームを引っ張った。もともとポイントガードを務めており、周囲の動きを見ることに長けていた川面さんは、キャプテンも適任だったのだろう。創設1年目はいきなりウェスタンカンファレンス3位、そしてファイナルでも4位と、上々の結果を残す。翌年以降もキッチリ上位に食い込む戦いっぷりを見せていた。
だが、川面さんの体には限界が来ていたようだ。35歳を迎えた2009ー10年シーズンの6月に引退を表明。特に肩の痛みには何年も悩まされていたらしく、翌年のシーズンを万全の状態で迎えられなくなったため、引退を決断したそうだ。引退後は、チームの勝利だけなく球団の創設にすら大きく貢献したその功績がたたえられ、背番号11は永久欠番となった。その後は地元の九州共立大学で、スポーツ学部の教員としてとして活動している。
というように創設から10年間チームを支えた選手、そして球団の創設自体に尽力した選手、2人の選手の背番号11が永久欠番となった。今のBリーグがあるのも、彼らの功績が大きいだろう。これからも、そういった大きな影響力のある選手たちの登場に期待したい。