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バスケットボールで背番号9はレジェンドの番号

2017 8/25 10:07Mimu
バスケ
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学生バスケではあまりイメージが良くない?

中学や高校のバスケで背番号9というと、これといった明確なイメージがあるわけではない。ポジション・選手のタイプ・学年、どこを見ても、背番号9をつける選手の確固たる共通点が見つからないのだ。特に近年はバスケの戦略もどんどん多様化し、ポジションもかなり流動的になってきた。2017年からは高校バスケの背番号も自由化になっている。ますます、高校バスケにおける背番号9のイメージを探すのが難しくなってきた。
しかし、日本のバスケリーグにおいては、背番号9はあのレジェンドがつけている番号として知られている。折茂武彦選手、46歳にしてまだ現役を続けている選手だ。

選手とオーナーの2足のわらじを履くレジェンド

折茂選手は1970年生まれで、2017年現在47歳の大ベテラン選手である。もちろんBリーグでは最年長選手だ。それでいて、レバンガ北海道のを創設したオーナーでもある。Bリーグどころか世界でも珍しい、選手とオーナーの2足のわらじを履きながら活動している人物だ。
大学卒業後の1993年にトヨタ自動車へ入団。日本一とも言われる正確なスリーポイントを武器に、日本屈指のシューティングガードとして活躍してきた。当時から日本代表に選出されることも多く、徐々にその名が知られていく。トヨタ自動車で14年間活動した後、2007年からはJBLのレラカムイ北海道へと移籍。念願だったプロバスケ選手なることができた。この当時ですでに37歳というベテラン選手であったが、衰えを知らないスリーポイントを武器に、チームの勝利に貢献していく。

チームの危機に自ら会社を設立

レラカムイ北海道でも長年中心選手として活躍。いつしか「ミスターレラカムイ」と呼ばれるほど、大きな存在感を放っていた。しかし、折茂選手の大活躍とは裏腹に、徐々にチームの経営状態は悪化し、2011年頃には選手やスタッフへの給与支払いもままならないほどだった。チーム存続が危ぶまれ、新たな運営元も見つからないという苦しい状況が続く。
当時40歳の折茂選手も引退を考えたこともあったそうなのだが、最終的には折茂選手が「株式会社北海道バスケットボールクラブ」を設立し、この会社でチームを所有しながら選手としてもプレーを続けるという、いわゆる2足のわらじ状態となったのだ。そしてこの新チームを「レバンガ北海道」とし、新たなシーズンの幕開けとなった。

選手としてもこれから、絶体絶命のピンチもメインスポンサーを獲得

チームメイトたちは残ってくれたものの、創設当初は苦しい時期も続き、とにかくお金がない状態だった。必死に頭を下げてスポンサーを探し、時には自分の貯金を切り崩して選手たちに給料を払った。チームもなかなか勝利をつかめないまま、本当につらい時期だっただろう。それでもチーム設立から2年後、「株式会社 正栄プロジェクト」がメインスポンサーとして経営支援をしてくれることが決定し、そこからはどんどんチーム状態も良くなっていく。
この年には桜井涼太選手や、多嶋朝飛選手ら、今もチームで活躍する選手たちが入団。ようやく創設初の勝ち越しでシーズンを終えることができ、ようやくチームとしての形ができてきた。そして2016年にBリーグへと参入すると、迎えた最初のシーズンはチームにケガ人が続出して再び苦しい時期に。
だが、折茂選手自身が60試合に出場し、ファンに元気な姿を見せ、チームの1部残留に貢献しているのだ。

NBAのあのレジェンドもオリンピックで着用

実はアメリカにも背番号9をつけたレジェンド選手がいる。それはマイケル・ジョーダン氏だ。シーズン得点王10回、1試合平均31.5得点はいずれも歴代1位、通算29、292得点もNBA4位という、有名過ぎるレジェンドである。しかし、ジョーダン氏の背番号といえば「23」のはずである。
実は、1992年のバルセロナオリンピックにアメリカ代表として出場した際に、背番号に9を着用しているのだ。このときのチームはNBAのトップ選手が集結しており、圧倒的な成績で金メダルを獲得。
あまりに豪華な顔ぶれであるため「ドリームチーム」と言われたほどだ。アメリカだけでなく、世界中のバスケットファンを熱狂させたチームであった。そのため、このときのジョーダンの背番号9が、非常に印象に残っているという人も少なくない。バスケットボールの背番号9には、何かパワーがあるのかもしれない。

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