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バスケットボールの試合では背番号1~3が使用禁止?その理由とは

2017 8/25 10:07Mimu
バスケ
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FIBA主催の国際試合や学生バスケの試合では1~3番が使えない

以前よりFIBA(国際バスケットボール連盟)主催の大会、および高校生以下の大会では、原則として1~3番の背番号の着用は禁止されていた。背番号といえば、その選手の代名詞的な存在でもあり、他のスポーツなら1や3は主力級の番号のはずだ。なぜそれほど華のある番号が、バスケでは禁止されていたのだろう。
これは、審判のジェスチャーなどで紛らわしくなることを防ぐための措置である。「3秒ルール」といって、ゴール付近のペイントエリアに、オフェンスチームが3秒以上いてはいけないというルールがある。長身の選手がこのエリアをずっと占領してしまうと、あまりにもオフェンスが有利だからだ。
そしてこのルールを選手が違反したとき、審判はバイオレーションを宣言する。その際のシグナルが、指を3本選手に向かって指し示すため、背番号が3番の選手が違反したのではないかとややこしくなってしまうという理由で、1~3の番号が禁止となった。

着用できる番号にも制限がある

また、1~3以外の番号なら自由に着用できるというわけではなく、4番からの連番を使用しなければならないという規則もあった。大会によってベンチ入りメンバーの人数に違いがあるが、15人までベンチ入りできる場合は4~18、12人までの時は4~15番をつけるということになる。
しかし、最近ではこのルールが廃止され、選手たちは自由な番号をつけることが可能となった。バスケの国際試合でも、高校の大会でも、さまざまな背番号をつけた選手たちがコートで活躍している。特に高校の場合、2017年度から背番号が自由化されたばかり。インターハイではまだ多くの高校が4~15番をつけていたが、ベスト4に残った福岡第一高校では、背番号0や1、50などをつけた選手たちがコート上でプレーしていた。
また、これらはNBAやBリーグなどでは適用されることはなく、0~99までの番号であれば、どれを着けても自由だ。ただしNBAでは「0と00を着用する選手は同時に在籍できない」や「56番以上の番号を使用するにはリーグの許可が必要」といったルールがあったりもする。こういったところに注目すると、あえて56番以上をつけている選手には、何かこだわりがあるのではないかという見方もできて面白い。

プロリーグでは制限はなし!実際に2番をつけている富樫勇樹選手

実際にBリーグで1~3番をつけている選手を紹介しよう。
背番号1をつけた選手なら、横浜ビー・コルセアーズの稀代のシューター川村卓也選手がおなじみかもしれないが、今回は背番号2をつけた若手選手を紹介しよう。千葉ジェッツふなばしの富樫勇樹選手だ。小学校・中学校時代から名前の知られた存在で、高校はアメリカのモンロトーズ・クリスチャン高校へ留学。身長は167cm床柄ながら、早い時期から体格の大きな選手たちとプレーし、スピードやテクニックを使った戦い方を身につけた。
高校時代の2011年、そして2014年・2015年と3度も日本代表に選出。秋田ノーザンピネッツ時代には、2012-2013年シーズンに新人王、2013-14年シーズンには最多アシスト、およびベストファイブのタイトルを獲得している。特に2013-14シーズンは、チームを創設以来初のファイナルズへと導いており、その貢献度は計り知れない。93年生まれのまだ若い選手だが、すでに日本を代表するバスケ選手の1人であった。

日本人2人目のNBA契約を勝ち取る

2014年の10月にNBAのダラス・マーベリックと契約し、田臥優太選手以来2人目のNBA契約を結んだ日本人選手としてもおなじみの富樫選手だ。同年の7月にマーベリックスのメンバーとしてサマーリーグに参加しており、特に16日の試合では11分の出場ながら12得点を挙げる猛アピールで、見事に契約を勝ち取った。
8月には、日本代表としてアジア競技大会に出場するために1度帰国したが、11月からは再びアメリカに戻り、マーベリックス傘下のテキサス・レジェンズでプレーしている。その後足首を捻挫してこともあり、2月までしかプレーできなかったが、ケガ以前の試合では12得点を挙げ、体は小さくともスピードやテクニックで十分に対抗できるというところを見せてくれた。

抜群のリーダーシップを誇る背番号2に注目

その後2015年の9月に千葉ジェッツに入団し、1年ぶりの国内復帰となった。そして2016年Bリーグ発足初年度のリーグ戦では、その存在感が増していく。シーズン開幕はチーム全体が不調だったものの、11月から12月の中盤まで13連勝を記録するなど絶好調だ。チームの司令塔として、時には自ら得点を奪い、時には選手のアシストに回り、ひたすらに勝利を求め続けた。
その勢いのまま1月の天皇杯で優勝。2月3月も好調を維持し、シーズンを44勝16敗という好成績で終えた。
残念ながら、その後のBリーグファイナルで敗退してしまったが、チームにとっても本人にとっても確かな手応えを感じたシーズンだったように思う。今後も、千葉ジェッツふなばしの背番号2に注目していきたい。