女子車椅子バスケの歴史
まず車椅子バスケの歴史はどういうものなのか見てみよう。車椅子バスケは、障がい者スポーツの1つとして、1940年代にアメリカ合衆国で考案された。1960年のローマオリンピックでは正式種目として採用されている。
日本国内で行われるようになった当初、女子選手は男子に混ざって行うことが多い状況だった。しかしその後1988年に神戸女子車椅子バスケットボール大会が行われ、その後1990年から全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会が開催されるなど、女子種目として確立されていく。さらに現在では、国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会、通称大阪カップなどで女子の日本代表チームの強化も図られている。
現在の女子車椅子バスケ
日本国内における女子車椅子バスケは現在、全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会に参加する8チームが中心だ。東北ブロックのSCRATCH、関東ブロックのWINGとELFIN、東京ブロックのGRACE、東海北陸ブロックのBrilliant Cats、近畿ブロックのカクテル、四国ブロックのパッション、九州ブロックの九州ドルフィンの8チームだ。
全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会は、毎年兵庫県神戸市の神戸総合運動公園体育館、通称「グリーンアリーナ神戸」で開かれることから、グリーンアリーナ神戸は女子車椅子バスケの聖地となっている。
パラリンピックにおける女子車椅子バスケ日本代表
女子車椅子バスケ日本代表は、2000年シドニーパラリンピックで銅メダル、2008年の北京パラリンピックでは4位の成績を残している。この頃は世界の強豪の1つに数えられていたが、近年は苦戦を強いられている。
2012年のロンドンパラリンピックでは、予選で敗退し、7大会続いていたパラリンピック出場を逃すと、2016年のリオパラリンピックでも出場権を逃してしまった。女子車椅子バスケ日本代表は、アジアオセアニアゾーンに属しているが、このゾーンで日本と出場を争うオーストラリアと中国はいずれも世界屈指の強豪だ。
美しき3ポイントシューター北田千尋選手
ここで、主な女子車椅子バスケの選手を紹介する。まず北田千尋選手だ。1989年1月12日和歌山県橋本市生まれの北田千尋選手は、先天性の股関節脱臼を患い、生まれつき股関節が十分に動かない。2011年から九州ドルフィンの一員になると、翌2012年には関西の強豪カクテルに移籍した。
カクテルでは3ポイントを多く決め、カクテルの全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会3連覇、北田千尋選手自身も3年連続MVPに輝いている。2016年4月からはオーストラリアのリーグにも参加している。
車椅子バスケ女子日本代表の「絶対エース」網本麻里選手
もう1人紹介する注目の選手が、女子車椅子バスケ日本代表のエース網本麻里選手だ。
網本麻里選手は1988年11月15日大阪府大阪市生まれ。元々バスケットボールを行っていた網本麻里選手だが、右足のつま先が変形する病気を発症し、中学2年でつま先を切断。その後車椅子バスケを始め、高校1年で女子車椅子バスケ日本代表になっている。
2007年には親善試合のドイツ戦でなんと1試合38得点を記録し、世界記録を打ち立てた。2008年北京パラリンピックでは、女子車椅子バスケ日本代表は4位だったが、網本麻里選手は大会得点王になっている。日本では関西の強豪チームカクテルに所属し、2016年からはドイツ1部リーグの強豪ケルンで活躍している。ドイツでは男女、そして健常者も混成で行われているため、ハードな戦いが行われている。
まとめ
女子車椅子バスケの現在と注目選手についてお伝えした。女子車椅子バスケ日本代表はパラリンピック出場を2季連続で逃しているが、エースの北田千尋選手と網本麻里選手は、それぞれ海外に挑戦し、さらなる技術の向上を目指している。これからの女子車椅子バスケに注目していきたい。