幼少期の憧れはマジック・ジョンソン氏
ジェイソン・キッド氏の現役時代のポジションはポイントガードだった。これは幼い頃に上級生の子達に混じってバスケットボールを楽しんでいた際に、どうしても身長で劣ってしまう為、シュートよりも味方の得点チャンスを生み出すパスに磨きかけるようになった事による。またこの頃に影響を受けた選手が、当時のスタープレイヤーであったマジック・ジョンソン氏であり、ロサンゼルス・レイカーズの試合を観戦しては、彼のプレイを参考にしていた。
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ジェイソン・キッド選手と言えばNBA史上に残る名プレイヤーだが、どのようなキャリアを歩んできたのだろうか? ジョンソン・キッド選手の生い立ちから現役時のプレイスタイル、プレイヤーとしての功績を紹介する。
ジェイソン・キッド氏の現役時代のポジションはポイントガードだった。これは幼い頃に上級生の子達に混じってバスケットボールを楽しんでいた際に、どうしても身長で劣ってしまう為、シュートよりも味方の得点チャンスを生み出すパスに磨きかけるようになった事による。またこの頃に影響を受けた選手が、当時のスタープレイヤーであったマジック・ジョンソン氏であり、ロサンゼルス・レイカーズの試合を観戦しては、彼のプレイを参考にしていた。
高校は聖ジョセフノートルダム高校に進み、州タイトル獲得へ導くなど高校バスケ界のスターに成長する。高校のスター選手になったキッド氏の元には、多くの名門大学から勧誘がきた。さらには大学進学はせずに直接NBA入りも噂されるようになる。
しかしキッド氏の選択はカリフォルニア大学バークレー校という強豪校とは言い難い大学で、理由は自宅から近いというものだった。大学バスケでも年間最優秀選手獲得や強豪校を次々と撃破していく活躍で、すぐにでもNBAで通用する選手という高い評価を得る。
高い評価を得たキッド氏は、大学3年には進学せず、ドラフトにアーリーエントリーする事を宣言し、1994年にダラス・マーベリックスに全体の2位で指名を受け契約した。入団以前のマーベリックスは当時リーグ最弱と言われていたチームであり、2年前にNBAワースト2位となる11勝71敗を記録していた。
ただ優秀な若手は揃ってきており、キッド氏はポイントガードというポジションからその選手達をいかに使いこなしていくかを求められていたが、マーベリックスの成績を向上させるなど期待に応え、新人王にも選ばれる活躍を見せたのだ。
キッド氏は現役時代マーベリックスを含め5つのチームを渡り歩く事になるが、とりわけニューヨーク・ネッツ在籍時の活躍はキャリアのスポットライトと言える。キッド氏が移籍してくる前のネッツも大きく負け越すような弱小チームだったがキッド氏の加入によってプレーオフ進出常連のチームに変化を遂げる。
個人成績で派手な成績を上げるわけではないが、弱小チームであったチームをキッド氏一人加入した事により変化するチームが多かったのは、ポイントガードとして周りの選手たちを使いこなしていた証と言える。
キッド氏の現役時代の異名は「ミスター・トリプルダブル」だ。これは1試合の中で得点、アシスト、リバウンドを二桁マークするというものだ。通算の達成回数としてNBA史上3位の達成回数を誇り、プレイオフでの達成回数は史上2位だ。いずれも1つ上の順位の選手が幼少期の憧れであったマジック・ジョンソン氏だった。
ちなみにキッド氏はシューティングが得意ではないタイプのポイントガードであった為、得点が足らずトリプルダブルを逃すケースが多かった、珍しいタイプの選手だった。引退後はヘッドコーチとしてNBAに関わっている。
ジェイソン・キッド氏の経歴を見ると、ことごとく弱小チームに加入しながらも、彼一人加入する事によりチームが強くなっている事に驚く。正に周囲の選手たちの能力を引き出す名プレイヤーだ。