最高峰の攻撃力と評されたポイントガード
スティーブ・ナッシュ氏は、2013-14年シーズンを以て引退した選手だ。現役時代はアシスト王5回をはじめとする数々のタイトルを獲得した名選手だった。アシスト王5回からも分かる通り、現役時代のポジションは、ポイントガードで、卓越したゲームメイキングとボールハンドリングを武器とし、尚且つシュートの技術をも併せ持つという最高峰の攻撃力を備えたポイントガードだった。一方で小柄な体格ゆえにディフェンスを苦手としていた一面もある。
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パスセンス、周囲を見る力、シュート力。これらの全てを兼ね備えた選手といわれたスティーブ・ナッシュ氏だが、素質が爆発したのはキャリアの中盤以降という遅咲きの選手だった。ナッシュ氏の生い立ちから引退後の今を紹介する。
スティーブ・ナッシュ氏は、2013-14年シーズンを以て引退した選手だ。現役時代はアシスト王5回をはじめとする数々のタイトルを獲得した名選手だった。アシスト王5回からも分かる通り、現役時代のポジションは、ポイントガードで、卓越したゲームメイキングとボールハンドリングを武器とし、尚且つシュートの技術をも併せ持つという最高峰の攻撃力を備えたポイントガードだった。一方で小柄な体格ゆえにディフェンスを苦手としていた一面もある。
そんな輝かしい現役時代は、1996年、フェニックスサンズから始まった。しかしサンズではナッシュ氏の能力が活かされていないとして1998年にはダラスマーベリックスが獲得に動き、トレードでの移籍が決まった。2004年までマーベリックスに所属していたが、自身のFAとチームの若返りの方針により、2004-05シーズンよりサンズへ復帰する。
マーベリックス時代に才能を開花させていたナッシュ氏だが、サンズ復帰後は更にチームともフィットした事により華々しくキャリアを積み重ねていく。現役晩年になる2012年にロサンゼルスレイカーズに移籍し現役引退に至る。
NBAで数々の実績を誇るナッシュ氏だがNBAに入るまでは不遇な時代も経験している。ナッシュ氏は、父がイングランド人で母がウェールズ人、誕生の地が南アフリカ共和国だった。そして家族でカナダに移住して生活しバスケットボールを楽しんでいた。学生時代も、カナダ人という理由でアメリカの有名な大学には見向きもされず、推薦状なども無視される。
そんな中、サンタクララ大学へ推薦での入学が決まる。NBAのドラフトもカナダ人という事で知名度が低かった事もあり、15位でサンズに指名された時は、サンズファンからブーイングが起こった。
数々の輝かしい実績を誇るナッシュ氏だが、最大のハイライトと言えるのが、サンズへ復帰した2004-05年シーズンだ。当時サンズの指揮をとっていたマイク・ダントーニ氏が標榜する、アップテンポなアウトサイドシューティングを中心としたラン&ガンオフェンスというスタイルと、最高峰の攻撃力を備えるナッシュ氏のプレイスタイルが見事にマッチし、サンズに爆発的攻撃力をもたらした。そしてカナダ人初となるMVP受賞を果たす事になったのだ。
ナッシュ氏は現役時代から熱心なチャリティー家としても知られていた。中でもスティーブ・ナッシュ財団という公共奉仕を目的とした非営利団体を2001年に設立し、チャリティーゲームなどを開催するなどした。こういった活動が評価され、2006年にはアメリカの雑誌であるTime誌にて「最も影響力のある100人」に選ばれている。
引退後は、ゴールデンステート・ウォリアーズの選手育成コンサルタントに嘱しているが、2016年にはフェニックス・サンズのオーナーであるロバート・サーバーとスペインのサッカーのクラブチームRCDマジョルカを買収し、共同オーナーに就任し、兼務している。
スティーブ・ナッシュ氏を紹介した。 不遇な時代を経験しているナッシュ氏だけに発言も前向きな言葉が多く残っている。 プレイ同様、ナッシュ氏の言葉もまた見てみると面白いかもしれない。