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NBA史上最高のパワーフォワード ティム・ダンカンの功績

2017 1/18 19:02
バスケットボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

サンアントニオ・スパーズで5度のNBAファイナル制覇を成し遂げたティム・ダンカン氏だが、チームではどのような貢献を見せ、この功績をあげたのだろう。 ダンカン氏のプレイスタイルやバスケットを始めたきっかけなどを紹介する。

サンアントニオ・スパーズ一筋19年

ティム・ダンカン氏は、19年間に及ぶ現役生活をサンアントニオ・スパーズ一筋で過ごしてきた。接触プレイや体を張ったプレイが求められる「パワーフォワード」というポジションでありながら、チームの大黒柱であるダンカン氏の長期欠場が極めて少なかった事も知られている。
ダンカン氏入団後のスパーズは、ダンカン氏入団後となる1997-98シーズン以降、全てのシーズンにおいて勝率6割以上を記録している強豪チームとなりこれはNBA全30チームの中でも唯一のチームとなっている。

バスケとの出会いは遅かった

ダンカン氏の現役時代の実績は素晴らしく、NBAファイナルを5度も制覇している。またシーズンMVPを2度、ファイナルMVP受賞も3度も数える。プレイ自体に華やかさはないものの基本に忠実なプレイスタイルとその圧倒的な実績で「史上最高のパワーフォワード」との呼び声もある。
またオールNBAチームには通算15回選出されており、これは史上最多タイの選出回数だ。そんな輝かしい実績を誇るダンカン氏だが、幼少のころに嗜んでいたスポーツは意外にも水泳だった。

バスケを始めたのは中学3年生

バスケットボールを始めた時期はNBAを極めるような実績を持つ選手としては極めて遅く、中学3年生の時だった。バルセロナオリンピック出場を夢見て水泳に情熱を注ぎ、出身でもあるヴァージン諸島代表としてジュニアオリンピックにも出場するほどになっていたが、巨大ハリケーンに島が襲われた為、島唯一の国際大会レベルのの競泳が可能なプールが使用不能になり水泳への情熱が薄れ、義理の兄弟の影響でバスケを始める事となった。

チームの為には自己犠牲も厭わないプレイスタイル

ダンカン氏の現役時代のポジションは前述のとおり、「パワーフォワード」だがこの頃のパワーフォワードは層が厚くカール・マローン選手やチャールズ・バークレー選手、同世代にもケビン・ガーネット選手やダーク・ノビッキー選手といった名プレイヤーが数多くいた。彼らと比較すると個人成績自体は地味だが、実績は断然だ。
ダンカン氏が最も評価されるのがプレーの安定性や正確性、また自己犠牲も厭わないチームを第一に考えチームプレイに徹する献身的な態度だった。これらのプレイスタイルが「NBA史上最高のパワーフォワード」と言われる所以でもあるのだ。

NBA史上唯一の記録保持者?

ダンカン氏は、NBA史上1人しかいない公式記録を持っている。それは「年齢による衰え」を理由に試合を欠場したという記録だ。通例として試合を欠場する際には「コーチ判断」などと申告するそうだが、ストレート過ぎてダンカン氏本人もこの時はさすがに苦笑いして試合を見つめていたというエピソードがある。もっともダンカン氏は30歳を過ぎてからは出場時間に制限を設けてプレイしていた。そういったケアもあり長年に渡って活躍できたのだろう。

まとめ

ダンカン氏のプレイには派手さがないので素人目にはあまり面白味はないかもしれない。 だが、チームがチームとして機能し頂点を極めるには地味な役回りの選手も心配だ。 そういった役割を献身的にこなすプレイスタイルに注目して過去のプレイを振り返ってみると、また違った視点でダンカン氏のプレイを見る事が出来るかもしれない。