コービー・ブライアント選手の生い立ち
コービー・ブライアント選手は、1978年にアメリカ・フィラデルフィア州に生まれた。 父親が元NBAの選手だったこともあり、コービー・ブライアント選手がバスケットボールに興味を持つようになると練習を共にし、知識や技術を教え込んだ。1983年に、父親がイタリアリーグでプレーをすることをきっかけに、一家はイタリアに移った。その後、1991年に父親が現役のプレーヤーを引退し、再び一家はフィラデルフィア州に戻ることになる。
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レイカーズを5度の優勝に導いたコービー・ブライアント選手。オールスターゲームには18年連続出場と、まさにスーパースターという言葉が似合う選手だ。2015年に現役引退を表明しており、その輝かしいキャリアに幕を下ろした。コービー・ブライアント選手の功績や生い立ちを紹介する。
コービー・ブライアント選手は、1978年にアメリカ・フィラデルフィア州に生まれた。 父親が元NBAの選手だったこともあり、コービー・ブライアント選手がバスケットボールに興味を持つようになると練習を共にし、知識や技術を教え込んだ。1983年に、父親がイタリアリーグでプレーをすることをきっかけに、一家はイタリアに移った。その後、1991年に父親が現役のプレーヤーを引退し、再び一家はフィラデルフィア州に戻ることになる。
ローワー・メリオン高校に入学し、好成績を残したコービー・ブライアント選手は、高校卒業後、そのままNBA入りを目指した。そして、1996年にドラフトにエントリーし、才能を見出していたロサンゼルス・レイカーズによって指名された。その後、2016年に至るまでのキャリアをレイカーズで過ごすことになる。 高校卒業後の選手がNBAで通用するとは考えられていなかった時代に、ルーキーイヤーからスラムダンクコンテストで優勝するなどの功績を残した。
コービー・ブライアント選手の残した功績を見ると、獲得したタイトルの多さに驚くことだろう。レイカーズに5度のチャンピオンリングをもたらしたことはもちろん、2008年にはシーズンMVP、その翌シーズンから2年連続でファイナルMVPも獲得している。さらに、得点王に2回、年間最多得点を4回獲得している その他にも、2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックにアメリカ代表チームのエースとして出場し、両大会で金メダルを獲得している。
2015年11月に引退表明会見を行ったコービー・ブライアント選手は、その後2016年4月に引退試合を行った。肉体的な衰えが引退の一つの原因だったコービー・ブライアント選手だったが、引退試合では37歳にも関わらず60得点を記録した。これは、32歳で60得点をしたウィルト・チェンバレン選手の歴代最年長記録を更新した記録だった。 試合自体も、終盤まで負けていた状況を逆転し、勝利に導いた。これまで、様々な功績を残してきたブライント選手だったが、引退試合でも有終の美を飾ったと言えるだろう。
コービー・ブライアント選手の性格が、負けず嫌いであるということはよく知られている。 高校生の時には、練習中の3on3の試合に味方のミスで負けてしまうと、コービー・ブライアント選手が怒鳴り散らしたというエピソードがある。 同時に練習熱心であると言われており、試合のあるシーズン中でも毎日4時間の練習を行っていたとされている。また食事制限も徹底しており、特に年齢を重ねてからプレーの質を下げないように、赤味肉や魚、野菜が中心の生活を送っていた。
NBAのスーパースター、コービー・ブライアント選手を紹介した。彼は2016年4月に行われた引退試合を最後に、現役を退いている。プレーを見られないのが残念だが、3歳からバスケットボールを始め、これまでの人生のほとんどをバスケットボールに捧げた選手が、今後どのような活躍をするのか、楽しみだ。