ジョン・ストックトン選手のプロ入り前のキャリア
1962年にアメリカ・ワシントン州に生まれたジョン・ストックトン選手は、幼少期からバスケットボールの練習に励み、特に練習熱心な少年であったことが知られている。
大柄な体格というわけでもなく、特別に身体能力に優れた選手ではなかった。しかし、地元ゴンザガ大学でバスケットボールをプレイしていた時には、高いアシスト能力と得点能力で、無名の選手でありながら、一部では実力を認められていた。本人はこのころはまだNBA選手になれるとは思っていなかった。
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ジョン・ストックトン選手は、1996年、NBA50周年の際に「50人の偉大な選手」に選ばれた名プレイヤーだ。特にアシストとスティールに関しては、今なお破られていないNBA史上最多記録を残したことでも知られている。そんなジョン・ストックトン選手の経歴や功績をまとめた。
1962年にアメリカ・ワシントン州に生まれたジョン・ストックトン選手は、幼少期からバスケットボールの練習に励み、特に練習熱心な少年であったことが知られている。
大柄な体格というわけでもなく、特別に身体能力に優れた選手ではなかった。しかし、地元ゴンザガ大学でバスケットボールをプレイしていた時には、高いアシスト能力と得点能力で、無名の選手でありながら、一部では実力を認められていた。本人はこのころはまだNBA選手になれるとは思っていなかった。
1984年のドラフトで1巡目の指名をユタ・ジャズから受けたことで、ジョン・ストックトン選手のNBA選手としてのキャリアがスタートした。当時は、あまりにも無名の選手だったために、周囲はもちろん、ジョン・ストックトン選手自身もこの指名には大変驚いたようだ。
しかし、その後19年間に渡りユタ・ジャズにおけるPG(ポイントガード)を務め、引退後には彼が着ていたユニフォームの12番は、同チームで永久欠番になり、バスケットボール殿堂入りも果たしている。
ジョン・ストックトン選手の功績として、長きに渡りユタ・ジャズの中核を担ったことが挙げられる。特にチームメイトのカール・マローン選手と組んでの熟練のピック&ロールは、得点を量産した攻撃パターンとしてよく知られている。
ジョン・ストックトン選手は、9年連続でアシスト王に輝き、生涯で史上最高のアシスト数記録を打ち立てた。また、史上最高のスティール記録も保持しており、NBAオールスターゲームには、キャリアの中で10回出場している。
ジョン・ストックトン選手のプレイスタイルは、視野の広さと全体の状況を把握した上での的確な判断を特徴としている。シュートやパスなど、一つ一つのプレイの精度が高く、個人での得点能力も高いだが、状況により確実に得点できる選択を選ぶなど、派手さはないが堅実なプレイをしていた。
実は、練習の際にジョン・ストックトン選手がダンクシュートを決めたことがあるようだが、チームメイトからは驚きの声が上がったといわれている。
ジョン・ストックトン選手のプレイスタイルから、性格まで冷静沈着なように思えるが、そんなことはないようだ。コート外では、寡黙な一面もあるようだが、コート上では、審判の見えないところでラフプレイを行ったり、わざと倒れてファウルをもらうなどのずる賢さも際立っていた。
また、相手を苛立たせるようなトラッシュトークも盛んに行っており、実力が評価される一方で、デニス・ロッドマン選手に次いで最も汚いプレイヤーランキングの2位になったこともあった。
ジョン・ストックトン選手を紹介した。ゲイリー・ペイトン選手など、ジョン・ストックトン選手を目標の選手の一人に掲げているNBA選手は少なくない。 生涯アシスト数、スティール数で史上最高記録を保持している選手というだけでも素晴らしいだが、同じバスケットボールプレイヤーからも認められている選手だ。