チャールズ・バークレー選手の学生時代
1963年生まれ、アメリカ・アラバマ州出身のチャールズ・バークレー選手は、大学でバスケットボールをしていた頃から注目を集めるようになった。
プロバスケットボールプレイヤーの中では小柄とも言える2m弱の身長にも関わらず体格が良く、その上に俊敏性や跳躍力を兼ね備えた選手として知られていた。特に、そのリバウンド力には若い時から定評があった。
1984年のロサンゼルスオリンピックには、学生でありながら代表候補に選ばれている。
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チャールズ・バークレー選手は、NBA史上最高のPF(パワーフォワード)と言われており、テクニックとスピードを併せ持ったパワフルなプレイが特徴的だった。また、ユーモアの効いた毒舌は、コートの外でも話題になった。そんなチャールズ・バークレー選手の経歴や功績をまとめた。
1963年生まれ、アメリカ・アラバマ州出身のチャールズ・バークレー選手は、大学でバスケットボールをしていた頃から注目を集めるようになった。
プロバスケットボールプレイヤーの中では小柄とも言える2m弱の身長にも関わらず体格が良く、その上に俊敏性や跳躍力を兼ね備えた選手として知られていた。特に、そのリバウンド力には若い時から定評があった。
1984年のロサンゼルスオリンピックには、学生でありながら代表候補に選ばれている。
バークレー選手は、1984年にドラフトによりフィラデルフィア・76ersから指名を受け、1992年まで同チームでプレイを続けた。その後、自らの希望で、フェニックス・サンズへ移籍。1996年にはヒューストン・ロケッツに移籍している。
フェニックス・サンズに移籍して初めてのシーズンでMVPを受賞しているが、翌年からは怪我で欠場することが増えていった。
NBAオールスターゲームには、11年間連続で出場するなど、実力だけでなく人気を兼ね備えた選手であったことがわかる。
バークレー選手の愛称の一つに「空飛ぶ冷蔵庫」というものがあるが、これは彼の体格とプレイスタイルに由来している。
身長198cm、体重120キロという巨体から繰り出されるパワープレイはもちろんだが、ドライブからのダンクなど、スピードとテクニックも兼ね備えていた。レイアップや、バックシュートなど、どこからでも得点できる選手であり、自分より身長が高い選手からもリバウンドを取れる跳躍力があった。
「空飛ぶ冷蔵庫」とは、バークレー選手の体格と、身体能力を表した愛称だったのだ。
ユーモアセンス抜群で、ファンを楽しませることの多かったバークレー選手。インタビュアーの映画・タイタニックを見たか、という質問に対して、沈没船とかけながら、当時の弱小チームの名前を挙げて答えるなど、ユーモアの例は数えればきりがない。
しかし、バスケットボールに対する熱意は本物だ。1999年12月の試合中に腱断裂という重傷を負い、そのまま引退を発表した年のこと。怪我をしてコートを去った姿のまま終わりたくないという思いで、彼はリハビリを続けた。そして、そのシーズンの最終戦になんとか間に合い、試合に出場し有終の美を飾った。
現役引退後、バークレー選手は主にテレビのコメンテーターとして活躍している。持前のユーモアセンスと、毒舌で出演番組は人気を博しているようだ。
また、2006年にはバスケットボール殿堂入りしている。フィラデルフィア・76ersとフェニックス・サンズでは、彼が使用していた34番が永久欠番として認定された。
インタビューなどで、稀にアラバマ州知事選に立候補する意欲を見せることがあるが、
まだ実現していないようだ。
史上最高のPF(パワーフォワード)と謳われるチャールズ・バークレー選手を紹介した。バスケットボール選手としてその実力は折り紙付きだが、その人柄も魅力的だ。現役時代の後半には、怪我に悩まされていたが、今後はコメンテーターとして増々の活躍を期待している。