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NBAのレジェンド、ラリー・バードの功績を振り返る

2017 1/10 23:42
larry bird
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Photo by lev radin/Shutterstock

80年代のNBAを席巻したラリー・バード選手。長年マジック・ジョンソン選手とライバル関係にあり、幾多の死闘を演じた。最近のNBAファンにもしってほしいラリー・バードの功績を紹介する。

浮き沈みの激しいラリー・バードの大学時代

1956年にインディアナ州のウエストバーデンで6人兄弟の4番目として生まれたラリー・バード選手は、高校時代に頭角を現すと、大学は闘将ボビー・ナイト率いる強豪インディアナ大学に進学した。しかし、バード選手は学校に溶け込めず、わずか1か月で退学、清掃員として働きながら地元の短大に入りなおす。
その後、バード選手はインディアナ州立大学に編入、1年目は制限がかかってプレーできなかったが、その後の3年間で平均30.3得点、13.3リバウンドを記録。4年時にはNCAAトーナメント決勝に進み、マジック・ジョンソン選手擁するインディアナ州立大学と対戦、敗れたもののアメリカ全土に名が知れ渡ったのだった。

NBA加入後すぐにスーパースターへ

バード選手のNBAの加入の仕方も波瀾万丈だった。
インディアナ州立大学3年時の1978年のドラフト、ボストン・セルティックスの社長兼GMレッド・アワーバック氏は、バード選手が最初のインディアナ大学入学から4年目だったこととドラフトの規則の盲点を突き、強硬に指名した。バード選手はインディアナ州立大学卒業後の翌シーズンからプレーすることになる。バード選手はセルティックスでの1年目、前年29勝53敗だったチームを、61勝21敗に引き上げ新人王に輝いた。
また、オールスターファーストチームにも選ばれ、苦労人バードはスーパースターの仲間入りを果たしたのだった。翌1980-81年シーズンにはセルティックスを5年ぶりのNBAチャンピオンに導く。

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