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日本では今後どうなる?バスケットボールの歴史を紐解く

2017 1/10 23:42
バスケットボール
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Photo by Pushish Images/Shutterstock

バスケットボールは、日本でも多くの人に支持されている人気スポーツの1つだが、一体どのようにして普及、発展してきたのだろうか。 バスケットボールの歴史について説明していきたいと思う。

原型の考案者はカナダ出身

バスケットボールはアメリカ国技のイメージが強いが、実はバスケットボールを考案したのは、カナダ出身のYMCA体育部教官であるジェームズ・ネイスミスだった。
彼が屋内ゲームのプログラムにおける有用なスポーツとして1891年に考案し、採用されたのがバスケットボールの始まりだ。サッカーやラクロスといった、すでにルールを含めて存在していたスポーツの要素を混ぜ合わせながら作られたのだった。

当時は何人で試合してもOK

現在のバスケットボールといえば、各チームごとに5人までがコートに立ってプレーするものになっているが、YMCAの最初の試合におけるチームのプレー人数は9人だった。
つまり合計18人と非常に多かったのだが、当時は基本的に何人でも同時にプレーしてOKで、それからルールの細かい調整が行われた。 バスケットゴールに関しても普通のかごを使ったり、ボールもサッカーボールだったりと道具に関してもまだまだ途上という状況だったのだ。

NBAの誕生がアメリカ国技への道に

開始当時は手探りの面が多かったバスケットボール。 しかし、その人気は高く、YMCAを飛び越えて様々な大学にまで流行することになり、1946年アメリカでついにプロバスケットボールリーグであるNBAが誕生した。
NBAは今日に至るまで選手のレベルや収益、人気では他の追随を許さない規模になってきており、バスケットボールはアメリカの存在感を示すものとなっている。 人気と実力を兼ね備えたバスケットボールがアメリカの国技になるのは当然だった。

日本にバスケを伝えたのはYMCAの卒業生

日本のバスケット普及には諸説があるが、1908年にYMCAの卒業生でありバスケットボールに精通している大森兵蔵氏が紹介したのが最初だとする説が有力とされている。
その後はアメリカ同様に大学を中心に普及していくことになり、1930年には日本バスケットボール協会が誕生して、バスケットボールの普及と日本全体のレベルの向上を目指していくことになった。 YMCAの卒業生がいたからこそ、日本でもバスケットボールが広まったのだ。

大きな壁に立ち向かう現在

2005年にプロリーグであるbjリーグ発足した日本のバスケットボール界だが、全体の足並みが揃わなかったこともありアジアでも苦戦するレベルに低迷してしまう。
もっとも最高峰のアメリカと比較すると、どこの国も大幅に置いて行かれているため、抜本的な改革が必要というのが現在の課題だ。 日本においては今年分裂したプロリーグが一つになるという大きな歴史が刻まれたので、それが改革の第一歩になってほしいところだ。

まとめ

田臥勇太選手以来の日本人NBA選手の誕生というのが、日本バスケットボール界の今後大きな悲願となってくるだろう。 未だに大きすぎる世界である、バスケットボールの頂点NBAで活躍する日本人選手を見る日は、そう遠くないかもしれない。